『野生の猛禽を診る』 齊藤慶輔

野生の猛禽を診る―獣医師・齊藤慶輔の365日

野生の猛禽を診る―獣医師・齊藤慶輔の365日


鳥を見に行くことは楽しい。野生の動物や鳥にばったり出会えたら普通にうれしい。庭に来る小鳥の餌付けは日課のようなもの。
自分は、ごく普通の、こと自然に向 かっては(どちらかといえば)善意の人間である、と思っていた。
おお、恥ずかしい。穴があったら入りたいわ。
なまじっかな「好き」とか「善意」とか、思いこみとかが、正しく知ろうとすることを妨げ、ほかならぬ好意の対象に、ひとかたならぬ迷惑をかけていたことを知る。
自分の意識のお粗末さに対面してしまった。
生き物の世界は思っているよりもずっとずっとデリケートだ。
ともあれ、私の庭に来るスズメやキジバトから目をあげて、身近な猛禽トビやノスリを通って、北海道のシマフクロウオオワシを臨む。


なぜ、希少猛禽を保護するのか。そもそも保護とはどういうことなのか。
その答えはひとつであろうはずがない。
しかし、大きな答えの一つとして、
「広い範囲の生態系・生物多様性保全する『傘』としての役割を持つことから、猛禽類は「アンブレラ(傘)種」と呼ばれている」
猛禽類の生活を注視し、彼らが健全な生活を営めるように努めることは、野生動物と人間を取り巻く自然環境を丸ごと守ることに繋がっているのだ」
ということがあげられている。
難しいことはわからないのだけれど、たとえば、ピラミッドの一番上(大型猛禽類)が崩れたら、その崩れは、下へ下へと浸食してくる、ということなのだろう。
希少猛禽が抱える問題・保護は、本州の片端に住む私の環境を考えることにも繋がっている。(猛禽の危機は私たち人間の危機につながるのだ)


そして、そこに潜む深刻な問題―ことに人間が介在する故の問題は一筋縄ではいかない。
鉛中毒、交通事故、送電鉄塔による感電などで、動物たちは傷つき、命を奪われていく。
環境汚染や資源開発などが、野生動物たちにとって重篤な危機になりうる。
一つの種を絶滅に追い込むほどに。
「人間の生活が野生動物の疾病原因を生む限り、私たちには回復と野生復帰に誠心誠意手を貸す義務がある、と私は思っている」と著者。


それにしても、人間社会で、ある分野にとっての進歩・発展が、別の分野には大きなダメージになることもあるのだ、ということを思い知る。
これまで取り組んできてやっと出かかった芽が、ある日突然、全く別の世界の事情によってつぶれてしまうこともある。
たとえば、「人間の生活を豊かにするためにさまざまな環境の改変を行っている企業など」
けれども、それを、著者は、敵と呼ばない。
一見相反する道を行く二者が、互いに膝を突き合わせ、互いの立場を理解・尊重しあいながら、(互いの利益になりうる方向で)協力し、道を開くこともできるのだ。
もしかしたら、野生動物と人間が共存することも、そういうことなんじゃないのかな。単純に言ってしまってはいけないだろうけれど。


野生動物を専門に診る獣医師は日本ではまだまだとても少ないが、著者・斎藤慶輔さんは(おそらくは)日本では第一人者だろう。
一つのことを掘り下げ専門性を深めていくことはその世界を狭くするんじゃないか、と思っていたのだけれど、斎藤先生は違う。
極めれば極めるほどに世界が広がっていく印象がある。
周りの環境、企業の専門分野、周辺の国々の状況など・・・もっともっと、様々な知識を掘り下げ、世界を広げることで、専門の野生動物保護の世界をさらに深め豊かにしていく印象なのだ。


野生動物に関わる獣医の世界は、まだまだ発展途上である、という。
しかし、それだけに未来の職域の広さ・深さは未知数だという。数々の難題を抱え、少しずつ道を切り開いてきた斎藤先生がそういう。
ふんだんな写真のなかの、大空を力いっぱい羽ばたくオオワシの写真を眺めながら、未知数、という言葉に込められた希望のことを思っている。