『もっとにぎやかな外国語の世界』 黒田龍之助


外国語、といえば、わかりたい、使いたい、からはじまるのだと思っていた。
けれども、著者は「外国語が大好き」から始めたのである。


たとえば、最初は「みる」
読めなくてもいい、もちろん意味なんかわからなくていい。
それぞれの言葉の一続きの文を、ただ眺めてみる。眺めて何を感じるかだ。
思い出したことがある。
ずっと前に、文字に興味を持ち始めた(けれど読めない)近所の子が、ひらがなの文字をひとつひとつ指さしながら、こんなことを言っていた。
『ひ』→「この子は優しいお顔」
『め』→「この子はぷんぷん怒ってる」
『よ』→「ねえねえって呼んでるよ」
この子には、文字が人の表情や姿に見えているのだ。
文字は読むもの、という先入観(?)が自動的に働いてしまうわたしには到底辿りつけなかった文字との出会い。
読めるようになる前に、こんなふうに文字と出会えた子はとても幸せ。と思った。


この本は、さまざまな、本当にさまざまな外国語(日本語、英語やフランス語から、こーんな言葉があったのか、まで!)と、「わかる・使う」を除外して、出会わせてくれる。
見るのだよ、聞くのだよ、と・・・豊かな言葉の海の真っただ中で伸びやかに遊ばせてもらい、少しだけ著者の「外国語が大好き」という感覚に触れたような気がする。
そうして、さらに先まで、もっと深いところまで著者は導いてくれる。あくまでも「わかる・使う」無しのままで。

>外国語を知ることは、世界の多様性を知ること。わたしはそう考えている。一つの外国語を熱心に勉強しなければならないこともあるけれど、いろんな世界を少しずつ覗くことだって、視野を広げるためにはとても大切だ。


外国語の話から、その言葉を話す国の話になり、そこから日本語の話になり、そして、消えていった言葉の話になり、そうしてそれらの言葉を話す人たちのことを思い始める。
その人たちの文化について、歴史について、思いを馳せる。
思いは自分の足元から世界の果てまで、現代から大昔まで、行きつ戻りつ。
言葉は楽しい。言葉は素敵。
自分の使っている言葉をもっと好きになる。もっともっと知りたくなる。そうしたら、ほかの言葉も、他の言葉を使う人たちのことももっと知りたくなる。
それ以上の学びにつなげようという気持ちには今のところならないけれど、ことばとこんな風に出会えたこと(そして出会いなおさせてくれたこと)がうれしい。