『ぼくからみると』 高木仁三郎/片山健



>なつやすみの あるひ。ひるすぎの ひょうたんいけ。
です。
自転車のしょうちゃんが見ている。
釣りをしているよしくんが見ている。
いけのなかのさかながみている。
かいつぶりのおかあさんが、とんびが、かやねずみが、みつばちが・・・
いろいろな大きさのいろいろなものが、いろいろな場所から、いろいろなことをしながら、見ている。
これ全部おなじひょうたんいけだ。
同じ場所が、「目」によって、こんなにもちがってみえるのだ。


片山健さんの描く迫力のある風景がたまらない。
風景が動いているのだ。激しく動いている。
いいえ、風景は動かない。
動いているのはわたしだ。風景を見ている「目」のついたわたしが、走り、泳ぎ、滑空しているのだ。
そうかと思えばぴたりと静止してみせる。


なんて豊かな生き物たちの世界だろう。
なんと豊かなひょうたんいけ。
ここに集うものたちをひとつも拒まない豊かさ。
なんて気持ちがいいんだろう。
わっと立ち上ってくる夏の湿地の匂い。


「○○からみると。」としか書かれていない見開きのページが続きます。
「みると。」のあとに音が消える。しんとする。
でも、この絵のなかにはたくさんの音がある。
しんとしたところから、自然な音が一斉に立ち上がってくるような気がする。
風の音。木や草の葉の音、動物や昆虫が立てる音。ささやかで騒々しくて、どれも命がたてる音。
わたしもここにいる。小さな呼吸の音をたてて、みんなといっしょにいる。この風景の一部として。