『八月の六日間』 北村薫

八月の六日間

八月の六日間


九月の五日間、二月の三日間、十月の五日間、五月の三日間、八月の六日間。
ある山好きの女性を主人公にした連作短編。ということになるのだろうか。
折々の季節、折々の日程、折々の山を歩く。ただひたすら歩くのだ。
どこから始めて、どんなコースをだどり、どんな場所で休んて、どんな人に出会って、どこに泊まって、そして、どこをゴールにしたのか、ただそれだけの話なのだ。
ただそれだけ、というけれど、私はこの本を皮膚全体で読んだ。呼吸をするように味わいました。


何度も言うけれど、ただ歩くだけの本だ。それだけのことなのに、どうしてこんなにいいのだろう。
目的地とルートを決めて、何を持っていくかの準備から始まって、あとはただただ歩く。
けれども、もくもくとひとり歩いていれば、思いがけない道連れに出会うこともあるし、ささやかではあるけれど(いや、ささやかだからいいんだ)ちょっとしたドラマも起こるのだ。
そして、いろいろなことがとりとめもなく思いだされる。
彼女の一歩一歩が、彼女の生き方をそれとなく物語っていることを知る。
過去に体験した苦々しい思い、理不尽な思い、忘れたくても忘れられない出来事も・・・どこにどう納めていいかわからず放置していたあれこれの思い出が、よみがえってくる。
都会の雑音から離れた山の道を辿りながら思いだせば、案外冷静に振り返ることができるのかもしれない。
過去を振り返ることはミステリを解くことにも似ているな。


気がつけば、わたしも彼女と肩を並べて歩いている。
思い通りの道は行けない。思い通りにならないことばかりじゃないか。きれいな道でもない。
勇気りんりんで歩いているわけではないし、疲れ果ててただ一歩の足さえも出ないこともある。
恨みごとも言うし、いつまでたっても吹っ切れないし。そんな歩き方をしています。
それでも、なんとかかんとか歩いていたら、時には、思いもかけない素晴らしいものに出会えたりすることもある。
主人公を通して、大きな誰かがこちらに頷いてくれたような気がする。
やがて開ける、下界では決して味わえない風景。彼女を通して、体全体にいきわたらせる。


彼女は山で出会った一期一会の人たちの顔を思い浮かべながら考える。

>一人で歩くのが好きだ。だが、わたしの心の隣には、ずっとああいう人たちがいるのかも知れない。
はっとして、それから、それがとても素敵だと思った。
意識してはいなくても、一人で歩くことは、自分が一人ではないことを確認することでもあったのだ。


主人公は、どこの山にも、数冊の本を携行する(どの本をどういう理由で選ぶかという準備の話はかなり心が躍る)
実際、山でその本を開くことはないかもしれないのに。
山と本って、なぜか相性がいいように思うのだ(と、山を知らない私が言う) 
これから山に登る人の気持ちは、これから読むはずの本を手に取った時のワクワクする気持ちに似ているかしら、と考えています。
もし、もう一度人生をやり直せるなら、もっとうんと若い時に戻れるなら、私は山に登る人になりたかった、そんなことを思っている。