『14歳のX計画』 ジム・シェパード

14歳のX計画

14歳のX計画


「X」の意味も知らずに、気楽に読み始めたのだけれど、
・・・なぜこうなってしまったのだろう。
ゲームか何かだったんじゃない?(暗い動機ではあったけれど)
どんどんエスカレートしていく。
いったいどのへんからほんとうのことになってしまったのか、わからない。
とうのエドウィン自身にもわからないはずだ。ずるずると流されていく、加速度的に。(目を覚ませ、まず止まれ)


大学進学のことなんか考えられない、「高校だって行こうかどうしようか決めてないのに」というエドウィンの言葉。
彼の言動は刹那的。
彼に見えるのは自分が足っている地面だけだ。彼の前にあるはずの未来を見ることができない。
読むのがつらくなる。
14歳で絶望してしまっているのか・・・
でも、嫌い、避けている(はずの)同世代たちの「集団」を無視しきれていない。
物語後半あたりで見せられる弟に対する思いや、弟への語りかけに、はっとする。
母に何もかも話してしまいたくなったり。
固い表面しか見えていなかったけれど、彼のなかにこんなにも柔らかいものがあることを知って驚いている。


フレイクとエドウィンの結びつきの理由は、彼らの一番感じやすい部分、そして、決して知られたくない部分に、黙ったまま共鳴できる、ということだろう。
救い上げてやろう、なんとかしてやろう、なんて感じの、上から目線の助けは不快なだけだ。迷惑だ。
ほしかったのは、黙って寄り添い合うものだった、対等な関係で、ともに歩くものだった、そうなのだろう。
彼らに違う窓があったら、違う景色が見える窓があったら、と思ったりもしたけれど(でも、どんな?)もうどうしようもないのだろうか。


14歳には14歳の倫理がある、法則がある、哲学だって、宗教だってある、きっとそうだ。(社会規範とはまるっきり違って)
それらが良しとする方向に、誠実であろうとしただけなのだ。
それが、どんなものであったとしても、もしそのために世界が滅びたとしても、途中で手を引くことはもっとも悪いことなのだろう。
それが彼らの信奉する哲学なのだろう。
どうしたら彼らをひきとめることができるのか、わらかない。
大人には何ができるのだろう、どうすればよかったのだろう。