『精霊の守り人』 上橋菜穂子

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)


最初の一行を目にしたときからすでに物語の世界の中にいた。読み始めたらあっという間だった。
あまりにも長いシリーズにひるんでいたし、あまりに有名な主人公の話を聞くにつけ、目にするにつけ、すでに読んだようなつもりになっていた。
もうずっと読まなくてもいいかな、と思っていたけれど、それは間違いだったよ。


面白かった。

皇国の都の風俗、歴史、神話。ヤクーの一族が住む村の独特の風習。そして、集落を囲んでひろがる自然。
完全に異世界なのに違和感がないのは『獣の奏者』を読んだときと一緒。安心して物語にのめりこんでいける。
私たちの暮らしの続きのような、ちょっと前の祖先たちがこのように暮らしていたのではないか、と容易に信じられそうな、懐かしさのようなものがこの世界にはある。


何度も登場する印象的な食事のシーン。彼らの食べるものが詳細に描かれていて、それがほんとうにほんとうにおいしそうなのだ。
食材もファンタジーなので、まずこちらの世界で調達することは不可能なのだけれど、香ばしい匂いを感じ、どんな風に調理されて、どんな味なのかちゃんとわかる。
読みながら味わっている。(やっぱり食は大事だ)


短槍の達人バルサの戦いの場面に魅入られる。その場面のスピード感はもはや文章を読んでいるという感じではなくて、目の前を音を立てて空気がうねり、体を貫通していくような。
自らを闘鶏に例える強面の用心棒は、ある時は母のような深い愛情を、ある時は少女のような恥じらいを見せる。沢山の顔もカッコイイ。
皇子チャグムとバルサを中心にして、出会った人びとがそれぞれに魅力的だったが、
彼らを追う者たち。彼らのことを簡単に「敵」と呼べないということが、彼らの気持ち悪い立場を浮き彫りにして、寒々とする。


バルサが守る11歳の少年チャグムの成長に目を見張る。(見事な成長が、いじらしくてたまらない)
自分がのぞんだわけではない運命に次から次と手渡されていくかに見えるチャグム。
理不尽な運命は、何もチャグムだけに課せられたわけではないのだ。
どうして自分なのかという問いかけは、きっと誰もが一度は感じた疑問だろう。
完全に思い通りの人生なんてあるのかな。人は、多かれ少なかれ、自分でのぞんだわけではない生を生きている。
不本意なこの道を、それでも歩かなければならないなら、どのように歩くか、ということがきっと問題なのだ。
そして、望まなかったとしても、やはり、自分はここにいる、生きてここにいる。その事実を受け止める。
ここに自分があるために力を尽くしてくれた多くの人びとの顔を思い浮かべる。
チャグムを通して、たくさんの若者たちの成長を見ているような気がする。
これから、さらに厳しい道を歩き始めようとする若者たちへの応援のメッセージのようにも感じて、やっぱり胸がいっぱいになってしまうのだ。


歴史は勝者によって作られる、ということ。そして、敗者にもまた彼らの作った歴史がある、ということ。正しい歴史なんて、人間の社会に本当に存在するのだろうか。
それなら、歴史に学ぶものなんてあるのかな、と皮肉な気持ちにもなるけれど、よくよく目を見開くならば、ある。
どんなに隠しても、どんなに忘れさせようとしても、細い細い道を辿って、残るべきものは残っていく。
ただで残るわけではない。歴史は記憶。伝えよう、手がかりを残そうとする、名もない人びとのたくさんの手を思い浮かべている。


これは、シリーズ最初の一冊。物語はどこにむかっていくのだろう。長い旅が始まりました。ゆっくりと楽しみに進んでいこうと思います。