『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち(上下)』 リチャード・アダムズ

ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈上〉 (ファンタジー・クラシックス)

ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈上〉 (ファンタジー・クラシックス)

ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈下〉 (ファンタジー・クラシックス)

ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈下〉 (ファンタジー・クラシックス)


ウサギの村に大きな危険が迫っていることを、弟うさぎファイバーの予言で知ったヘイズルは、長(おさ)うさぎに立ち退きを進言するが、長は耳を貸さない。
そこで、彼と行動を共にする決心をしたうさぎたちとともに、村を脱出する。
ヘイズルを先頭に、11匹のうさぎたちが走り出した。彼らのユートピアを目指して。


うさぎ社会の独特の言い回しで「走るのをやめる」とは、死を意味します。それほどに、うさぎたちはこの本のなかを縦横無尽に駆け回っています。
彼らを追って読んでいると、いつのまにかカラダが軽くなる。わたしも走っている。四肢をぐんと伸ばして思いきり走っている。
なんて気持ちがいいのだろう。


うさぎたちの中には素晴らしい語り部がいるのです。だれかの「話を聞かせてくれよ」から、語り始められるむかしむかし・・・
英雄うさぎエルアライラーの伝説がいくつも、彼ら自身の冒険譚の間に挟み込まれています。
力弱いウサギが、知力を尽くして、大きな権力者の鼻をあかす物語は痛快。(一休さんとか彦一のとんち話をちょっと思いだす)


伝説のエルアライラーさながらの策略と絶妙なチームワークで、この小さなウサギのグループはもはやこれまでか、という危機を何度も乗り越えていく。
彼らの武器は「決してあきらめないこと」「仲間を見捨てないこと」
そうして、一つの社会ができあがっていきますが、何しろ物語は上下巻たっぷりあります。個性豊かなウサギたちが、それぞれに成長し、一つの社会としてまとまっていくには、時間がかかります。
成り行き上リーダーになってしまったヘイズルが真の長になっていくまでの成長の過程はことに丁寧に描かています。
下巻に進むころには、ごひいきのうさぎも現れます。(ビグウィグの魅力的なことったらね^^)
目の前に立ちふさがる障壁が大きければ大きいほど、どうやって乗り越えるのだろう、どんな作戦で切り抜けるのだろうと、はらはらし、同時にわくわくしてしまう。
彼らが小さなウサギである事を忘れ、あるいは、自分が彼らよりも大きな人間であることを忘れ、ともに駆け抜け、ともに傷をなめあい、大きな爽快感を味わいました。


夏は、ふりかえってみれば、きっとあっというま。だから彼らは、全力で走りきる。
彼らの冒険もまた、エルアライラーの物語のように伝説に変わるのだろうけれど、夏の終わりは、やはりちょっと寂しいのです。


・・・心からこの物語を楽しんだのですが、ひとつだけ不満を言わせてください。それは、彼らうさぎの社会が完全な牡(おす)優位社会であること。
最初に走り出した11匹は全員牡。彼らが牝(めす)のことを思いだすのは自分たちの「繁殖」のため。
こんな場面もある。
途中、名もない牝が命を落とすが、その時一匹の牡がこういう。「とにかく牝一匹のことです」・・・大した痛手ではなかった、というふうに聞こえるのよ。
思慮深く勇気ある牝も出てくるけれど、それも、牡の守りの範囲内のことにすぎないのが残念。
もし、これが中世の物語であったならば、それも仕方がなかった。でも、この物語が最初に発表されたのは1972年ですもの。
そこだけ、読み終えた後もなんとなくもやもやしたままなのでした。