『ムントゥリャサ通りで』 ミルチェ・エリアーデ

ムントゥリャサ通りで

ムントゥリャサ通りで


最後まで読んでも知りたいことはさっぱりわからないまま。
読み始めた時のわたしと読み終えたときのわたし。同じ場所にずっと動かずに立っているような感じのわからなさ。
それなのに。
わからないまま、この本に捕まってしまった感じだ。


第二次大戦後のルーマニア
あることがきっかけで、一人の男が保安警察に引っ張られる。30年以上前にムントゥリャサ通りの小学校の校長だったという老人ファルマである。
入れ替わり立ち代わりの訊問は、彼の生徒だった少年少女のことなのだけれど、
その答えは、「それをお話するには、○○からはじめなければなりません」と、
とんでもない遠い年代にさかのぼったり、当事者と何の関係があるのかわからない人間について克明に描写してみたり、そこから派生した事件について事細かに語ったり・・・
脱線にしか見えないような話しっぷりで、なかなか本題にたどり着かない。
迷路の奥深く、本筋から離れた枝葉の端にまで連れまわされているようで、いらだつ。
そして、彼が、夜昼書き続ける膨大な量の供述書も、同じ様相を呈しているという。


ファルマが連行されてから、いったい何日が過ぎたのだろう。
不気味だ・・・不安だ・・・何が起こっているのかさっぱりわからないことが恐ろしい。
ファルマを訊問する人間(たち)が、ファルマからいったい何を聞きだしたいのか、そもそも何について調べているのか、まったくわからないことが。
そして、素直に訊問に応じるファルマは、本当に見かけどおりの弱弱しい老人なのか、もしかしたらあのまだるっこしい語りの中に何かを隠しているのか、さっぱりわからないことが。
訊問に立ち会った極めて重要な役職の誰彼が、急に任を解かれて消えたりすることにも、その都度、ぞっとするのだ。
読者には、何もわからない。どの道をどこに向かって歩かされているのだろう。ただ、老人の話を聞くばかりである。


その老人の物語が・・・。
この不気味でせっぱつまった状況のなかで、俄然輝く。
わたしは、状況を忘れてのめりこむ。
何かの答えを期待しながら読んでいると、まさに煙にまかれてしまうのだけれど、いらだちがいつの間にか消えている。
地下の水の中に消えた少年のこと。航空機ごと行方を絶った青年の運命。
奇しきさだめを担った身長2.4メートルの美少女。
魔法なのかトリックなのか幻想的な奇術を繰り出すドクター。
時によって20代にも60代にも見える謎の女。
・・・この不思議な世界の、めくるめくような明るさはいったいなんなのだろう。
闇に開く花のような。千夜一夜物語のような。
もっともっと、もっと聞かせてほしい。そう思ってしまう。


老人の話のうち、天井に向かって放たれた矢が落ちてくるのを待っている少年たちの話があった。
はるかな天空まで飛んだ矢なら、どのくらいの破壊力を持って落ちてくるのか、と恐れるが、いつまで待っても落ちては来ない・・・
この物語は、その、矢の話に似ている。物語は落ちてこない。思っているように落ちてこない。
落ちないまま、どこかの天空でどんどん膨れ上がっている。今もまだ。
でも、落ちるところがきっとあるはず。その鍵を握っているのは物語の中の彼ら。
そして、その鍵をにぎりつつ、落ちてくる場所を探し続けているのも彼らなのかもしれない。
互いに決して胸の内を明かさないまま。


少年たちは、矢が落ちるところを探している。
わたしは物語の落ちるところをさがしている。
そして、さらにそうしたわたしがたどりつくところを見届けようとしている者がどこかの外側にいるのではないか。
ちょっとそんな気がして、肩ごしにふりかえりたくなる。