『児童文学の旅』(石井桃子全集6) 石井桃子

石井桃子集〈6〉児童文学の旅

石井桃子集〈6〉児童文学の旅


第一章、最初の旅は1954年〜55年。ロックフェラー財団奨学金を得て研究員としてアメリカ・カナダに主に児童文学の図書館を視察する忙しくも充実した旅。
第二章は1961年、二度目のアメリカ・カナダ。児童文学に関わる人たちとの親交を確かめ深めるような旅。
第三章は1972年、イギリス。翻訳したばかりの二冊の「マーティンピピン」と、ポターの「ピーターラビット」シリーズの舞台を見て回る旅。
第四章は1976/79年。またアメリカ、カナダ。


子どもの読書、子どもの図書館のために大きな働きをした人たちが、章ごとに(石井さんの渡米ごとに)歳を重ね、去っていくことが寂しく思えた、一連のアメリカ・カナダの旅でした。
石井桃子さんにとっての大切な友人であるとともに、石井桃子さんを通して、日本の子どもの読書のために、多くの力を貸してくださった人たちだった。
サンディエゴ公共図書館のミス・ブリードといったら、まさか、『親愛なるブリードさま』(感想)のブリードさんのこと?
・・・どの名前もきっと知る人ぞ知る、その道の著名なかたなのだろうけれど。
お話の名手だったというコルウェルさんの十八番『エルシー・ピドック夢で縄跳びをする』じかにきけたらねえ。
八島太郎さんや渡辺茂夫さん一家とのあたたかい交流、ファージョンやサトクリフを訪問する喜びなども、読んでいて楽しかった。


だけど、特に、ときめいたのは、第三章のイギリスの旅。
イングランド南部、サセックス州の村々の旅に、すっかり魅せられました。
しかもその旅はファージョンの登場人物たちの足跡を追う旅。
石井桃子さんが歩けば、本当にそこにいるのです。道連れになって、物語の中の懐かしいあの人このひと。そして、物語の中のあの場所この場所。あの空気。あの光。
丁寧な文章に、わたしも石井さんと共に、森のなかにオープン・ウィンキンズの不思議な気配を感じたり、縄跳びをするエルシー・ピドックとその後ろに見え隠れする妖精達の姿を楽しんだり、また、ときには「王様の納屋」の若い王様の歩いた道をともに辿る。
石井さんは道中のどんな小さなサインも見逃さないで、手に取って教えてくれるのだ。心躍る。


北の湖水地方では、ポターの物語の舞台を見て歩くよりも興味深かったのがポター本人の横顔。
実際彼女を知っている近隣の人々の語る意外なポターの気難しい素顔に、私は驚きつつ、一方で、ほんわかと甘い人でなかったことを、嬉しく納得しています。
ポターを訳すことに手こずったという石井桃子さんとポターその人。なんとなく似たところがあるのではないかな?


旅を通して、石井桃子さんの厳しいまでの几帳面さが浮かび上がってきます。
友人をどんなに大切にしていたか、人との出会いをどんなに真剣に考えていたか・・・
そして、翻訳の「ことば」に対する誠実さに圧倒されます。
印象に残っている文章。
「ぎりぎりまで単純な、きびしいミス・ポターの散文は、私がいままでしてきた翻訳の仕事のうちで、一ばんむずかしいものだった」と言い、たとえば、

>ことばづかいがむずかしいということなら、またいろいろ工夫も浮かぶのだが、ミス・ポターの単純な、「もみの木の下のa sandy bankに住んでいました」というような文章を訳すとき、私には、そのサンディ・バンクを心に描くことができず、文字だけを訳していると、良心の呵責を受けるのです。
(第三章のイギリスの旅は、そのために、現地を実際に見るための旅だった)
石井桃子さん訳の『ピーター・ラビットのおはなし』の、「…大きなもみの木のしたの すなのあなのなかにすんでいました」の、「すなのあな」は、そんな思いで訳されたものだったのか。
何も知らず読み飛ばしていた言葉(でも何度も何度も読み返した言葉)でした。
>翻訳にかかると、いつもその著者にのめりこんでしまう私の心は、二人(ポターとファージョン)のあいだでひきさかれたようであった。一人は、イギリスの風土からうけたものを克明に写しとり、きびしく組み立てて幼児のための絵物語をつくった。一人は、自然の中に揺らめく虹のような光を紡いで流れるような物語を書いた。二人に共通なところは、彼女たちの作品が、断ち切りがたくイギリスという風土に根づいていることだけだろう。(中略)ファージョンは、私にとっては限りなく甘く、ポターは、私を突きはなしていると思えるほど、きびしい。それは、彼女たちの書く話の長さやことばの難易とは、まったく無関係であった。


石井桃子さんは、この本のなかで何回「カメラを持っていなかった」「カメラをおいてきた」と悔やんだことか。
・・・あなたにカメラ、必要ないでしょ、と呟いてみる。
文章で表されたこんなに豊かな風景が、カメラで写せるか。文章を紡ぐ人にカメラはきっと必要ないのです。


読み終えて、私の頭の中は、まるで、四つの旅から戻った石井桃子さんにたくさんもらったおみやげを仕分けもせず詰め込んだような状態になっています。
でも、当分そのままにしておこう、と思っています。