『パパのカノジョは』 ジャニス・レヴィ/クリス・モンロー

パパのカノジョは (海外秀作絵本シリーズ)

パパのカノジョは (海外秀作絵本シリーズ)


>パパの あたらしい カノジョは かわってる。
すっごくカッコわるいんだ
「娘」が横目で大人(たち)を見るその冷めた目ときたら。
「あたらしいカノジョ」なんて言葉を読むと、この子は、過去、別の「パパのカノジョ」と付き合った経験が複数あるってことだね、と思う。
大人の都合でしょっちゅう(?)家族が変わるのは大変だよね、と思うけれど、「娘」はあからさまに抵抗しない。抵抗しないけれど、両手を広げて歓迎しているわけではない。
無駄な抵抗をあきらめている感じなのだ。
「家族」の一員として素直に行動をともにしながら、本当の気持ちを、隠せないのはその目。
パパのカノジョの「カッコわるさ」に対する「娘」の辛辣な観察がひたすら続く。
言っても無駄だね、理解できないし、理解してもらう必要もないしね、のため息が隠されている。
でも、本当はずっと理解したい・してほしかったんだ。と白状している感じなのだ。
ところが後半・・・


カノジョが本当は何を考えているのか、カノジョの方面からは何も書かれていません。
何も書かれていないけれど、カッコ悪いはずのカノジョにどんどん惹かれていく。
絵の中の、「娘」の表情の変化、両者の距離が詰まっていく様子もうれしい。
そう、展開は最初から見えていた。でもそんなのは問題じゃないのです。
この絵本、大人が読んだらいいんじゃないかな・・・


カッコいい人だ。そのカッコよさを示す一文一文が静かに胸を打つのだ。
カノジョのカッコよさは、まず自分を大切にして堂々としていること。
自分自身を大切にして、同じくらい人を大切にしていること。
大切にすることの意味をちゃんと理解していること。


わたしはカノジョを見ながら思っている。
カノジョがパパの娘にしたことを、わたしもほかのだれかにしてあげたかった。
・・・してあげられなかったことばかり。後悔ばかり。
本当は、何よりも私自身が私自身にしてあげたいことがたくさんあるのだ、と気がつきます。


最後のページで、初めて「パパのカノジョのほんとのなまえ」がでてくる。
「なまえ」が静かにしみてくる。