『ゾウの時間ネズミの時間』 本川達雄

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)


ゾウのような大きな動物とネズミのような小さな動物では、時間の流れ方が違うのだそうだ。
大きな動物の時間はゆっくり進む・・・動作もゆっくり。
小さな動物の時間は早く進む・・・動作も早い。
だから、大きな動物の寿命は長く、小さな動物の寿命は短いけれど、生涯の充実感(?)はきっとさほど変わらない、かもしれない。


まず、この本を読みながら、痛切に感じたことは・・・たくさんの数式や数学的な説明の数々がさっぱり理解できない、ということ。
まだ学生だったころ、わたしは数学が苦手だった。数式がたくさん出てくる物理化学も苦手だった。
理系で唯一興味を持つことができたのは生物だった・・・はず。それもこれも数字があまり出てこなかったからでもある。(甘いっ!です)
極めれば極めるほどに学問のジャンルの壁は消えて絡み合っていくものなのだろう。
そうやって、絡み合うと、こんなにおもしろい発見や証明ができてしまうのか、と驚いています。
嫌いな学問・将来役に立たなそうな学問をなぜ若い日に学ばなけらばならないのか、という疑問の答えもここにあったかな。
苦手なものを切り捨てることは、自分の世界をどんどん狭くしていくこと、自分を閉じ込めていくことにも繋がってしまうのではないか、としみじみ、思っているのです。


とりあえず・・・
数式は無視。(時間∝体重のヨンブンノイチジョウ、とか)
グラフは横目で確認。
それで、何とかついていく。
自分の時間が絶対ではないのだ、ということは面白い発見でした。


ふと思いだすのは子どものころの時間の感覚。
なぜ、あんなに一日が長かったんだろう。なぜ一年間があんなに長く感じたのだろう。
小さな子どもが、大きな大人の時間のサイズで生活していたからじゃないだろうか、と思っている。


同じ人間同士であっても、行動がゆっくりな人間もいれば、とてもすばしこい人もいるじゃないか。
サイズの生物学は、人の生き方や考え方に行きつくようだ。
身の丈、という言葉を思い出す。
身の丈をあまりに無視した技術や文化は、本当に必要なものなのだろうか。それを極めて人は幸せでいられるだろうか。
人の生き方や暮らし方は、長い時間をかけて、じわりじわりと不自然になってきているようには思えないか。
逆に、己のサイズにきりきりこだわれば、自分にとってだけ快適で、他の人(や動物)に不自然を強いるのかもしれない、とも思う。


絶対だと思っていたいろいろなこと、もしや場合によっては違うこともあるんじゃないかな。
時間の流れ一つとっても、生き物の種によって、こんなに違うのなら・・・。


↓参考書にこの本を借りてきました。
数字に弱いわたしにもわかりやすかったし、あべ弘士さんの絵がすてきでした。

絵とき ゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)

絵とき ゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)