- 作者: ザラー・ナオウラ,森川弘子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/10/26
- メディア: 単行本
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美しい湖の畔で、草の上に重たいスーツケースやリュックを投げ出して、
>ママは草むらに座りこんで、すすり泣いている。パパは両目を細めて、暗い顔できらめく青い湖面をにらんでいる。弟のサミは岸辺をピョンピョン飛び跳ねて、水切りする平たい石をあつめている。パパとママには仕事がない。家もない。長い間ホテルに泊まるだけのお金もないし、車もないのだ。
こんなことになったのは・・・ママの言葉によれば「何もかも、あんたのおかげよ、ありがとね、マッティ!」
始まりはエイプリルフールに新聞に載った嘘話だという。それがなぜ、あんなのっぴきならない状況につながるのだ?
ママも嘘をつく。パパも嘘をつく。
この家で一番しっかりしている大人は誰? いないんじゃないかな?
おかげで、子どもは大変・・・なのだけれど、転ばされつつ、なにやかやと学習しているらしいのだ。
そんなにいい加減でよくここまで無事にこられたなあ、とあきれてしまう家族なのだけれど、憎めない。
無口なパパが口の端をあげて笑う状況がとっても素敵だし。
「嘘は竹の子みたいに速く成長する」とはクルトおじさんの言葉だけれど、怖い言葉だ。
嘘は竹の子みたいに速く成長する。
そして、竹の子は竹になるし、地下茎を伸ばして、ずんずん増殖するのである。
それをとめるためには、そもそも嘘をついた本人が責任をもってどこまでも刈り取るしかないのだろう。
刈り取れるうちはいいけれど・・・マッティの両親を見ていると、どんどん後ろめたい気持ちになってくる。
わたしも幼い子どもたちに軽い気持ちで、たくさんの嘘をついてきたものだ。傷ついた顔をした子どもらの表情を思い出す。ちゃんと謝っていなかったことも思いだす。
痛い目にあっても、嘘はなくならない。
嘘は、つかのま、悲しみや絶望を隠し、希望を与えてくれるからじゃないだろうか。
そんな希望はまやかしで、嘘がばれたときには、元に戻るどころか悲しみや絶望が倍返しになって襲ってくるとしても。
時には小さな嘘が厳しい状況を乗り越える助けになってくれることもあるんじゃないだろうか。
嘘から、何かが始まるとしたらどんなときだろう。何かが蘇ることもあるとしたらどんなときだろう。
「うそからでたまこと」という諺を思い出すけれど、ほんとに嘘から出たのだろうか。
山のようにたくさんの嘘の、その奥に、大きなほんとうのことが、たった一つ埋もれているって信じられたら、なんとかなるような気がする。
だけど、最後に・・・
これ、こうやって拍手していていいのだろうか。にわかには信じられない自分がいる。
私、騙されているんじゃ? その話、どこまでがほんとう?