『アルグン川の右岸』 遅 子建

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)


そうだ、人が「語る」物語が好きだったんだ・・・
「語り」は、すでにないもの、戻せない時間についてのことが多くて、哀愁を帯びてしまうこともあるけれど、それ以上に、静けさがある。
語りに体ごと委ねている心地よさ。語りの声を耳で聴いているつもりで文字を追っていると、ただ静か。静けさを聞いているのかもしれない。


滅びようとしている部族がある。エヴェンキ族という。
トナカイを追って部族(血族)ごとに山を移動し、シーレンジュ(テント)で暮らしていた狩猟の人々。山の厳しい掟を守り、山の豊かさとともに生きてきた人々。
語るのは90歳の老婆。一族が山を下りた日、山に残ることを選んだ彼女が語った物語。
時代の流れに翻弄され、戦争やその後の国策により、ずるい者や時の支配者たちに利用され、使い捨てられ、あちらに転がされこちらに転がされ、それでも、文句も言わずに従った日々。
山が伐採され、山の神も掟も知らない人間たちに蹂躙された日々。
自然の災害や山火事、病気になぶられた日々。
そうして、人々は、大切な人々を失い、沢山の涙を流した。沢山の涙を流しながら、部族の人々の気持ちもいつのまにか少しずつ変化していたのかもしれない。
そして、山を下りる。生活を変えなければならなくなっていく。


少数民族は大きな波に飲み込まれるしかないのだろうか。
一言に少数民族、といってしまえば、それまでだけれど、わたしは、この本を読む数日の間、エヴェンキ族の人々とともに、90歳の老婆の一生を駆け足で駆け抜けていた。
肌全体で山の空気の中で呼吸し、山の神に祈りをささげ、篝火を囲んで、山の恵みを分け合った。老人たちの語る昔話に耳を傾けた。
夜には、シーレンジュをめぐる風の音を聞いた。遠くオオカミの声を聞いた。サマン(巫女)の神歌を聴き、山の神の厳格な平等さに耐えた。
トナカイを追って、樹木に記された樹号を読んだ。
子どもたちはよく手伝い、同時に悪さをした。
わたしは、この本を読みながら、五感でエヴェンキ族の日々を吸収していた。


伐採した木材を運び出す人と、エヴェンキ族のひとりとが、互いに「野蛮人」とののしり合う場面があった。
野蛮人とはなんだろうか。何を持って野蛮人というのだろうか。
相手の文化や価値観に敬意を欠いたとき、その人は「野蛮人」になるのではないか。