『詩の樹の下で』 長田弘

詩の樹の下で

詩の樹の下で


2ページづつくらいの短い文章で、それぞれ一本の樹木について語られます。
様々な種類の樹。さまざまな季節の中で、様々な土地で、さまざまな運命を生きる樹。
この本一冊で、いろいろな樹が自由に茂る森になる。
と同時に、この本のすべてが、一本の大きな樹の物語のようにも思えます。
ページを追うごとに、私の中に一本の樹が育ち、どんどん大きくなり、葉を茂らせ、幹を太くしていくようだった。


この大きな樹は、涼し気に風に葉をゆすられているだけではない。
大きな洞にさまざまな生き物を匿った。
津波に根こそぎ浚われた。(あるは抗って立っていた)
『軍神マルスとその罪業を共にした者たち』の亡骸を、まるで果物のようにその枝にぶらさげられた。
突然に切り倒されたりもした。
どれもみんな別々の場所の、別々の時間の中の、別々の樹の話。でも、読み終えてみれば、やっぱりどの樹も、同じ根を持つ一本の大きな大きな、とても大きな樹の話のようだった。


『冬の日、樹の下で』のなかの一節、
「幸福? 人間だけだ。幸福というものを必要とするのは」という一文に身が引きしまる。
幸福、とか、それからあらゆる感情を超越したような、ずっと変わらない大きな大きな存在。樹はそういうものなのかもしれない。
『老人の木と小さな神』の中の一節、
「存在がそのまま叡智であるような閑さがあるのだと思う」
長い時間をかけて大きく育った樹は、神様に似ている。
一冊の本を読みながら、私の中で育っていた大きな樹は詩人長田弘さんの「言葉」の樹。
詩人の「言葉」は、ページを追うごとに静かになっていく。樹が育つほどに静かになっていく。
そして、最後にこうして「閑さ」になって、揺るがずに立っている。何度切り倒されても押し流されても、揺るがずに立つ樹になっている。