『論理は右手に』 フレッド・ヴァルガス

論理は右手に (創元推理文庫)

論理は右手に (創元推理文庫)


パリの広場を縁どる樹木の根元に犬が落としていった「もの」が、ある事件が起きていることを知らせる。
そして、その落とし物が、事件を解決に導く。
これがあらすじ。
飲んだり食べたりしながらお行儀悪く本を読むのが好きなのですが、今回は読書ちゅう、あまり飲食したい気分にならなかった。
たとえ、パリの雨できれいに洗われたとしてもだ。
それが新聞紙にまるめられて、誰かさんのコートのポケットを出たり入ったりしているのだ。うっ。
こんなものが人物以上に重要な登場人物(?)になってしまうんだ。すごいすごい。


『死者を起こせ』に続く三聖人シリーズ二作め。
でも、最初に探偵役として現れたのは、ルイ・ケルヴェレールという内務省調査員をクビになったばかりの男。
ボロ館はどうした! 三聖人はどうした! とヤジをとばしたくなるのを我慢して読んでいるうちに、いつのまにか、彼の魅力に捕まってしまっていた。
三聖人もちゃんと出てくる(脇役だけれど)大丈夫。脇役になっても、彼らはやっぱり素敵なのだ。
・・・このシリーズ、どうも、うまいこと立ち回ることのできない、生き方のへたな人間ばかりが出てくる。
ケルヴェレールの理解者である元売春婦の老女マルトもそうだ。
頑固で偏屈。そして、心優しい人たち。職まで失くして、それでも自分の人生をちっとも悔いることがない。楽ではないけれど、案外幸せなのかもしれない。
類は友を呼ぶのか、似たもの同士(歳も性格も違うが)は匂いでわかるのだろうか。
前面に出てきても出てこなくても、チームとして、傍でみているのはなんとおもしろい。
息があっているんだかあっていないんだか、でも、やっぱりあっているんだろうなあ、の連中のデコボコ珍道中を追いかけているうちに、やがて、思いがけない余韻がふわっと過去から立ち上がり、はっと居住まい正した。後ろ姿を黙って見送っていたい気持ちで。
彼らの会話をずっと聞いていたくなる。ミステリも物語の筋もどうでもよくなる。犬の落とし物もどうでもよくなる。