『私が学校に行かなかったあの年』 ジゼル・ポター


「わたし」は七歳のとき、まる一年、学校に行かなかった。
なぜなら、家族劇団(パパとママと妹のクロエ)の一員として、イタリア各地での興行の旅に出かけていたから。
「わたし」はアリスとフラー(おばあちゃんとおじいちゃん)と別れるのがつらくて、旅に出ることが不安で、下を向いて涙をこぼしたものだが……


わたしはパンダになってドラムをたたく。小鳥になってイタリア語でさえずる。
妹とふたりで、ライオンのお面を外した途端にあびた喝采のことも忘れない。
おまわりさんに叱られて慌ててあとにした町もあるし、落とし物の持ち主を見つけ出してピザをおなかがふくれるまでごちそうになったりもした。
夜は車の中。積み上げたトランクの上にマットレスを敷いて寝た。


色彩も構図も、そして、描かれている人も物も動物も、なんてのびやかで自由なんだろう。
自由だけれど、ばらばらではない。みんなで手を取り合って踊っているようだ。


読み終えてから、改めて絵本の裏表の見返しをゆっくり眺める。
七歳の「わたし」がこの旅の間にかいた日記のページがコラージュのように並んでいる。色とりどりの楽しい絵と文字と、切り貼りとで、見たもの、聞いたもの、体験したものを生き生きと語る。
(この子の日記を全部見たい。隅から隅までよく見たい。)
特別なことがあってもなくても、平凡な日なんてないんだね、と彼女の日記を見ながら、思う。
七歳の学校は、「学校」の中にあるとは限らないのだ(むしろ外にこそ)


主人公の「わたし」は、七歳だったときの作者自身だ。見返しの日記は七歳だったときの作者が実際にかいたもの。
大人の作者の「思い出」と、子どもの作者の「今」とが、ともに語る、旅の日々。
楽しいことばかりじゃなかった。感動だけじゃなかった。
旅で出会ったあれこれを五感全部を使って吸収して、感じて、のびやかに成長していく「わたし」
父母の見守りの下で(そして、帰りを待ちわびる祖父母がいる)


彼女の履きなれたカウボーイブーツが歩いてきた道と、この日記と。それらは、これから歩いていく道とこれから描かれる日記に引き継がれていく。
行く手に鮮やかな新しいページが見えるよう。