『百歳日記』 まど・みちお

百歳日記 (生活人新書)

百歳日記 (生活人新書)


本を読みながら、クロード・モネの晩年の作品を思い浮かべていたのです。
白内障を患い、よく見えなくなっていたモネが、(画家として致命的であっただろうに)その限られた視界に見えるまま忠実に(?)写しとった風景を思い浮かべました。
輪郭がぼやけ、何が描かれているのかわからなくて、でもそんなことはどうでもよくて、絵を見る、というより、あふれかえった光と色とを浴びているように感じさせる絵を。


百歳のまど・みちおさんは、あちこち患い、病院のベッドの上、という限られた空間に暮らし、ご自身のことをお茶目に「アルツのハイマちゃん」という。
そういう境遇で発信される文章は、なんといったらいいのだろう。まるで雨に打たれた石のようにみずみずしくて、輝いているのだ。
そして、ふっとモネが白内障の目で描いた世界を思い出したのです。
生涯、言葉と向き合ってきた詩人は、大切な何かを奪われても、奪われたままの世界で、やっぱり読み手の心を静かに揺さぶってくれる詩人でした。

>・・・五感が老いて、ボケもひどくなりました。だけれども、不思議と感じ方が変わったということはありません。そのときによって、五感のうちのどこで感じるかが変わっておるのでしょう。
たとえば水面に波紋が広がれば、それが私にとっての音です。涼しい風が吹いても風の音は聞こえませんけれど、波紋を見たり葉っぱが揺れるのを見ると風の音が聞こえるようです。人間は、五感を働かせていることが、生きているということなのでしょう。五感の感ずるままに、えこひいきしないであるがまま眺める気持ちになったとき、何かを書きたくなるのです。
人生を大休み、小休み、中休みにたとえ、最後に大休みにかえっていく生き方を「かれんな」というまどさんの言葉に、感動します。まあまあ、そこそこ暮らしている自分も、そうだ、かれんではないかい? 認めてやろう。そう思ったら、鼻の奥がつんとしてきた。


まどさんは、小さなノート(日記帳)の最初のページに「よろしくお願いします」と書く。謙虚で、朗らかで、ちょっと皮肉な1ページ目は、虹のようにも見える。
ノートには、「?」「!」という記号が多くなるそう。「これなんだろう」「あれなんだろう」の「?」はどこにでもある、といいます。そして、「?」は「!」(感嘆符)に変わっていく。

>世の中に「?」と「!」と両方あれば、ほかにはもう、何もいらんのじゃないでしょうかね?
小さな「?」のあと、「ま、いいか」になってしまうことの多いわたしは、今日、いくつ「?」を見つけられるか。そして、それをいくつ「!」を変えられるだろうか。