『あひるの手紙』 朽木祥 

あひるの手紙 (おはなしみーつけた! シリーズ)

あひるの手紙 (おはなしみーつけた! シリーズ)


ある日、ほんまち小学校の一年生に、不思議な手紙が届きました。
びんせんにはたった一言『あひる』と書いてあります。それだけ。
はて、だれが、いったい何の用事でくれた手紙なのでしょうか・・・


手紙を、担任のよしえ先生と一緒に一年生18人、頭をくっつけて眺めているのです。
そうしたら、びんせんの「あひる」の三文字が、「にぎやかに、わらっているみたい」に見えたんですって。
このくだり、大好き。
ここを読んだとき、「あひる」という文字が、ほんとうに笑ったような気がしました。
そうだ。「あひる」って字は、朗らかな笑顔に見えるじゃないか。楽しい文字だ。
そしたら、わくわくしてきた。
文字たちが、言葉の意味から解き放たれて、楽しそうに踊り出したみたい。


手紙の中には、すごくたくさんの気持ちが詰まっているのだねえ。たった三文字であっても、その三文字に込められた気持ちが。
文字たちをちゃんと眺めたら(だから、もちろん手書きじゃなくちゃ)その手紙がどんな気持ちで書かれたか、わかるのかもしれない。手紙の用件を知るのはそのあとで十分だ。きっと。


はじめて手紙をもらった時の、うれしい気持ちを思い出す。初めて手紙を出したときのどきどきも、返事を待つ楽しみも。
「にぎやかにわらっているみたい」に始まった手紙は、送る側も受け取る側も、また送る側もまた受ける側も、それから待つ間も、笑顔笑顔、笑顔しか思い浮かばない。
そんなうれしい手紙のお話なのだ。


手紙をもらった子どもたちの弾むような会話が楽しい。子どもたちと担任のよしえ先生の関係も素敵なのだ。
先生の「ゆっくり、ゆったり」という説明の言葉に、はっとして、その言葉をそのまま受け止める子どもたちの屈託の無さに小さく感動する。
そんな先生だから、引き出しの中から出てくるものたちがこんなに魅力的で、そんな子どもたちだから、その発想はのびやかで、やさしい。
読んでいるわたしも、弾んでいる。
最後のページをめくりながら、つづきの手紙を一生懸命考えている自分に気がついて、はっとする。仲間に入りたくなっています。