『ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言』 原田マハ

ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言

ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言


トレイシー・シュヴァリエの『貴婦人と一角獣』(感想)を読んだばかり(そして、本物の『貴婦人と一角獣』のタピスリーを見る機会を逸したことが惜しくてたまらなかった)という、今年の夏を過した後に、この表紙をみつけた。手にとらずにいられなかった。
『楽園のカンヴァス』の原田マハさんが、この美しいタピスリー(にまつわる物語)をどう紡ぎあげるのか、どう命を吹き込むのか、とても興味があった。
副題は「ジョルジュ・サンドの遺言」で、サンドの葬儀の場面から物語は始まるのです。
時代を経たタピスリーとジョルジュ・サンドとは、なにやら謎めいた(不思議というか、神秘的というか)関わりがありそうだ。
引き込まれずにはいられないではないか。


貴婦人と一角獣』というタピスリーの存在を、わたしはトレイシー・シュヴァリエの物語で初めて知りました。
わたしの『貴婦人と一角獣』は、シュヴァリエの物語というフィルターを通したものでしかありません。
だから、この芸術作品について語る(感じている)サンドの一言ひとことが新鮮。ああそのようにみるのか、とふんだんな美しい口絵を改めて眺めたりした。
たとえば、どのタピスリーの貴婦人も、「こちらを見てはいない」「じっと見つめているうちに、彼女の目もこちらを向くような…」「…気配」という言葉。
ああ、言われてみれば、と思い始めたとき、思わずくらっとして、美しい女城主のいる城の不思議な幻想の中に自分もまた入っていくような気がした。
これこれ・・・二次元の絵(タピスリー)の世界が、奥行きを与えられ、空間を与えられる。もうただの絵ではない。それは世界。読むうちに、その世界に吸い込まれるようなこの感じ。
ああ、『楽園のカンヴァス』(重ねて言いますが、これ一作しか読んでいないのですが)での体験とよく似ている。
このようにして出会ったタピスリー、忘れられるわけがない。自分自身がすでにタピスリーの一部になってしまったのかもしれない。
そして、サンドをめぐる人々は、名の知れた文豪、芸術家・・・ああ、ほんとにわくわくするではないか。


しかし、物語は、突然に終わる。明るい光の中にとりのこされたことを知って、はっと目が覚めた。
無理やりまとめたような、いや、まとめてさえいない。始まってさえいないのではないか。と、いうところで、ぷっつりと終わってしまっていた。
明るい光に照らされながら、もしや、わたしもタピスリーの中に閉じ込められてしまったのか、と思う。
だれかが出してくれるまで待たなければならないのだろうか。
タピスリーの声に耳を澄まし、タピスリーに魅せられ、しかし、なすすべもない無念さにこの世を去って行った人々が多くいたのだろうか。
そういう人たちの思いが「唯一の願い」という言葉になっていったのだろうか。
最後の一行を読み切った次のページの空白に困惑してしまう。


しかし。
…これは、長い物語の序章。始まりの物語なのだそうです。
よかった。おわりじゃなかった。この先にどんな世界が広がっているのだろう。物語はどんな道をたどっていくのだろう。
先を楽しみに待ちます。



*追記*
この本が、これから始まる物語の序章であることは、かもめ通信さんのレビューを読んで知りました。(ほっとしました^^)