『ミラノの太陽、シチリアの月』 内田洋子

ミラノの太陽、シチリアの月

ミラノの太陽、シチリアの月


この本の中には、著者がイタリアで出会った人たちのたくさんの人生が詰まっている。
人生・・・といいつつ、あとから、この本を振り返ってみたらきっと、人より先に、まず、その入れ物である「家」を思い出すような気がします。


一話めのタイトルは「ミラノで買った箱」
著者が、ミラノでの活動の拠点としての箱、つまり、家を構えるにあたっての顛末が描かれる。
淡々とした文章である。仰天の事態(ですよね)に、ドライに訥々と処理していく著者の冷静さに、読者の方が焦ってしまう。
こういう事態にあたって、淡々としていられること、てきぱきと事務的に(?)処理していく著者に驚く。
どうなることか、と思う暇もなく。
なんだかとてもチャーミングな出来事なんだ、と読み終われるのが、内田洋子さんという書き手の魅力なのかもしれない。
なんだか楽しい。関係者みんなと握手したくなる。


そんな始まりだものだから、家、家、家、家・・・と、人よりまず家が気になる。
古い荘園屋敷、田舎の駅舎、海辺のホテルの最上階、港に停泊した船、アパート、山の斜面の家(そこに行くには車のギアを一速に入れてアクセルを踏みきって急坂を一気に駆けなければならない)・・・
なんて多彩な家だろう。不思議な家だろう。家についての描写を読みながら、家は、その人の人生の一端を雄弁に語るのだ、ということを知る。
読み始めには、せいぜい「変わった家だな」「そういう暮らしもあるのね」と思っていた。
そう、読み始めには、家はまさに「箱」に過ぎなかった。
それなのに、その家の顔が、一話読み終えるたびに感慨深いものになる。
そこに住む人々の人生の一場面一場面を記憶し、記憶に記憶を重ね、黙ってそこに建っている家。
どの家も(中古のごく普通のアパートも)かけがえのない大切な風景でした。


ことに印象に残るのは(好きなのは)・・・
この世に生きる幸福がふつふつと湧いてくる「駅員オズワルド」。
一場面一場面が絵のように印象的に浮かび上がる「ロシア皇女とバレエダンサー」
静かな余韻の残る「六階の足音」
エッセイなんですよねえ、この本。まるで上等な短篇小説を読み終えたような満足感です。