『六つのルンペルシュティルツキン物語』 ヴィヴィアン・ヴァンデ・ヴェルデ

六つのルンペルシュティルツキン物語 (創元ブックランド)

六つのルンペルシュティルツキン物語 (創元ブックランド)


書き記された文ではなく、語り手の言葉によって伝えられたおとぎ話だから、
お話が、語り手によっては同じ内容の全く違う話になったり、つじつまがあわなくなくなってしまうことは、よくあること。
グリム童話のひとつである『ルンペルシュティルツキン』の物語の、たくさんのつじつまのあわないところを、たとえば、ここがこんな風に…と、指摘し、突っ込んで見せる、作者による『まえがき』が最高である。
「そう、そう思ってたよ」から始まって、「言われてみれば確かに〜」「そうなのか?}「いや、そこまでは・・・」まで。そして、くすくす、がはがはと笑わせてもらった。
正直、本編よりも、この「まえがき」の方が好きなくらいである。といったら実も蓋もないのだけれど。


つじつまがあわないからお伽噺は楽しい。聞く人の立場や状況に応じて、どのようにも受け取れるし、知らないうちに、合わないつじつまを自分で埋めていたりする。
だから、お伽噺を語る人、受け取る人の数だけ、たくさんの新たな物語が生まれていたとしても不思議ではない。気がついていないだけで。


お話『ルンペルシュティルツキン』の主な登場人物はわずかに四人である。
粉屋、粉屋の娘、王さま、ルンペルシュティルツキン。
彼らはどんな人だったのだろう。
それを考えるだけで、もう物語が始まりそうな気がする。


さて、六つのルンペルシュティルツキン。
『まえがき』で指摘されたおとぎ話の「つじつまのあわなさ」を物語の巧みさが埋めていく。六つのまったく違う埋め方で。
もちろん、物語の骨格は変わりません。どこからどこまでグリム童話の「ルンペルシュティルツキン」です。
六つの物語の中を、六つの違うタイプの粉屋、粉屋の娘、王さま、ルンペルシュティルツキンたちが踊りまわる。自由自在に。
分身の術みたいだ。
そして、まったく違う物語になっている。
繰り返しもある。たとえば、文頭の一文「むかしむかし…」はお決まりだけれど、それが、少しずつ変化している。変奏曲見たいで、これもまた楽しい。
さあ、どのルンペルシュティルツキンが好きだろう。
…わたしは、四話目の『パパ・ルンペルシュティルツキン』が一番好き。あのコンビ、最強です。