ロバータ さあ歩きましょう

ロバータさあ歩きましょう (偕成社文庫 4029)

ロバータさあ歩きましょう (偕成社文庫 4029)


童話作家、佐々木たづさんが失明したのは高校三年生のとき。
完全に希望が潰えるまでの肉体的・精神的な苦しみの描写は壮絶だった。
やがて、絶望の中から童話作家への道を志し、盲導犬の訓練(人と犬とと一緒の訓練)を受けるために英国に単身渡るまでがこの本の前半に書かれている。


後半は、英国の盲導犬訓練校の描写が多くを占める。
わたしはずっとずっと待っていた。たづさんと盲導犬ロバータの出会いを。
待って待って待ったから、ついにロバータがたづさんの手許にやってきたときは、体中が喜びに弾けるようだった。
目ではなく、それこそ、この手に、この皮膚に、ロバータの毛並み、体温、はずむような体の動きが伝わってきた。
もう一人の主人公ロバータ。わたしは、ロバータのけなげさに、何度も打たれた。
犬の能力を最大限に生かせるようにしてやることが、盲導犬たる犬のけなげさにこたえることなのだろう。
戦争の時代を乗り越えた矢先に、あまりに理不尽じゃないか、と思うような闇の中で絶望と闘い、道を見出した佐々木たづさんの、ロバータを描写する何でもない言葉からも、その愛情と信頼が伝わってくるのだ。
たづさんとロバータとが、まるで一つの体のようになっていくのをただもう夢中になって追いかけていた。


こんな場面があった。
訓練所で仲間の一人が「やっぱり盲導犬よりほんとうの目のほうがいいよ」と言う。
たづさんは「盲導犬のほうがいいこともあるかもしれない」と控えめに言う。
この本のすがすがしさは、たづさんのこういう姿勢にあるのかもしれない。
手に入らないものと今持っているものと比べるのではなくて、今の状態を受け入れ、そこから、前進しようとする。
平坦ではない道。困難な道。
それでも、カバー裏の写真の、一緒に歩くロバータと佐々木たづさんは、凛としている。ともに気品ある美しさです。



大好きな『子うさぎましろのお話』の作者は目が見えないのだ、ということを初めて知ったとき、ほんとうにびっくりしたものでした。
だって、お話の中にはこんなにも光と色が満ちていて、輝くばかり。
改めて読んでみれば、このお話の中の色は、見える色よりずっと澄んだ美しい色のように思えた。
声に出して読むことがとても気持ちのよい文章であることにも気がついた。
佐々木たづさんのお話は、どれも、きっと声に出して読む本なのだ。言葉を声で楽しむお話なのだ。
この本『ロバータ さあ歩きましょう』を読んだとき、「ああ、だからそうなのだ」とその理由が少しわかった気がする。