ズボン船長さんの話

ズボン船長さんの話 (福音館文庫 物語)

ズボン船長さんの話 (福音館文庫 物語)


海に張り出した丘のてっぺんの家に引っ越してきた白髪のお爺さんは元船長さんだという。
旗のかわりにズボンをはためかせたズボン号の船長、ズボン船長さんだ。
ズボン船長さんの家がすてきなのです。
ドアを開けると、

>南向きの窓に向かって、床が一段高くなっていて、その床の中央に、かたい木でできたまるい船の舵が、両手を広げるようにして立っていました。そしてその先に、みがきこまれた真鍮の羅針盤がありました。窓ガラスのむこうは、青い空ともっと青い海、そのあいだをわける一本の水平線しか見えません。(中略)
この家は、まるっきり船でした。そしてほんとうの海に浮いているようでした。
ここのところを読んでいると「わあっ」と声をあげそうになる。
しかも、この家、日々、少しずつ手が加えられ、すぐにも海に向かって船出できそうな本物の船みたいになっていくのです。
もちろん、旗竿のてっぺんにはいつでも、古いズボンが、風にはためいている。
この船の改造を手伝ったのがケンです。
ケンは、この夏、ぜんそくの療養のため、ズボン船長さんの家(船)のすぐ近くにやってきていたのです。
ケンは、夏休みのほとんどの時間を船長さんといっしょにすごすことになります。
三世代ほどの年齢のへだたりのある二人がまるで親友のようになる。
二人は良く似ている・・・ある種の「さびしさ」を常に近く感じずにはいられない者同士だったから。


船長さんの家(船)の舵の横には小さなテーブルがあり、そこには、不思議なものが置かれています。
普通にみたら、どれもこれも使いものにならないがらくたばかり。
けれども、これらは、宝物。どれにも忘れられない大切な思い出と物語が詰まっていたのです。
船長さんは、その品物にまつわる物語をひとつずつ、聞かせてくれます。


海には、不思議なことがたくさんある。
どの物語も、「ええっ」と驚くような出来事に遭遇するし、これはいったいどういうことになるのかしら、と、はらはらするのです。
物語には、共通の空気があるのですが、それは、どの物語も「滅び」に関わる物語である、ということではないだろうか。
「海」とはもしかしたら、そういうものの象徴なのかもしれない。
ああ、それでいいのだ、それでよかったんだ・・・と読み終えられるのですが・・・気になるのは、それぞれのお話が、本当には終わっていないこと。
船長さんがひとつ語り終えるたびに、思うのです。この先の物語が、この本の見えないページに繋がって、まだまだずっと続いている、と。


やがて、ズボン号二世は新しい航海に出ます。
乗っているのは、船長さんと、あと、だれとだれとだれ・・・だろう。
ケンと一緒に聞いたお話の「続き」が、海の風に乗って、ズボン号の甲板に、どんどん流れ込んで来ているような気がするのだ。きっと、ここは、続きの続きをはじめるのにちょうどよい場所。
なんだか賑やかな航海になりそうな気がする。

ズボン号二世、良い旅を!ね。 ボン・ヴォヤージュ!



*おまけ、として*
『ズボン船長さんの話』から少なくても30年たって出た『ラスト・ラン』(感想)のことを思っています。
『ラスト・ラン』では、主人公イコさん(作者の分身?)は、『ズボン船長さん』に漂う「さびしさ」を手なづけてしまっているような気がします。
そして、イコさん「たち」が元気に進んでいるのは、茫洋とした「海」ではなく、固くてしっかりとして、どこまでも続いている大地なのです。
何かを突き抜けたような気がする『ラスト・ラン』でした。、
もうひとつ思ったのは、『ラスト・ラン』がイコさんの語りで描かれているのに対して、『ズボン船長さん』は、ケンの語りで描かれている、ということです。
もしも、ケンではなくて、船長さんの側から描かれたなら、物語のトーンはずいぶん違ったものになっただろう、と思うのですが・・・そう思うと、ふたつの作品に横たわる歳月がくっきりと浮かび上がるような気がします。(作者の立ち位置が変わった?)
角野栄子さんの『ラスト・ラン』以降が、とっても楽しみになってきました。