わが名はアラム

わが名はアラム (ベスト版 文学のおくりもの)

わが名はアラム (ベスト版 文学のおくりもの)


カリフォルニア州フレズノに住む(アメリカ人でもあり)アルメニア人のガロオラニアン一族は、おじいちゃんを中心に37〜38人。
ガロオラニアン一族の下っ端(?)アラム少年の目を通して、一族の中の特に価値ある人々や、彼の出会った人々について語ります。

特に価値ある、という「特に」の意味としては、わたしの常識や、深く考えもしなかった価値観を清々しいまでに、ひっくり返すものであり、彼らの生き方に触れるだけで、何かとっても素晴らしい無形の贈り物をもらったような気がするのです。


ことに心に残るのは、
『美しき白馬の夏』
眉をひそめつつも少年たちの馬への憧れが美しいと思わないではいられなかった。
しかし、疑い深くない百姓のジョン・ピロの言葉にやられてしまった。「おいらの友だちの息子たち」「双子」という言葉に。


『雄弁家、いとこディクラン』
賢く誉れ高い少年ディクラン。親であれば自慢の息子である。あたりまえだ。
しかし、実を言えば、何ひとつ「本当のこと」を知らない「ばかばかしい」十一歳の少年なのだ、彼は。
(そして、そのまま大人になるべきではないこと)を知っているおじいちゃんの言葉が本当に素晴らしい。
こういうおじいちゃんを中心にした一族に連なっているディクランは、とても運のいい少年なのだ。いまにわかるとも。


『三人の泳ぐ少年とエール大学出身の食料品屋』

>彼はたしかにえらい男だった。二十年の後になって、私は彼が詩人であったことを悟った。そして、さびしい貧弱な村のあの食料品店を、とるに足らぬ金銭のためにではなく、気まぐれな詩をつくるような気持ちで経営していたのだということを知った。
以上、引用である。「気まぐれな詩をつくるような気持ち」での経営・・・しかし、ここを訪れた少年は、それがたった一度、わずか数分の出来事であったも、きっと忘れない。絶対忘れない。わたしも忘れたくない。


『オジヴウェイ族、機関車三十八号』
これもまた、初めて出会って、その後二度と会うことのない人の思い出だろう。
時間がたてばたつほど、その出会いは本当だったのか、夢だったのか、と首をひねってしまうのではないか、と思った。それほど奇妙で、しかもとても鮮やかな出来事であった。
少なくとも、あるべき常識を越えている。越えているけれど、どのように考えたらいいかわからないけれど、それでも、この出来事から吹いてくる風はとても良い匂いがするし、過ぎ去ったあとに残る清涼感がたまらないのだ。


こういう素晴らしい人びととの出会いを浴びながら大きくなったのだとしたら、アラムという少年は(彼が著者の分身であろうとなかろうと)将来詩人になるしかないじゃないか、と強く思うのであった。