隠れ家 (アンネ・フランクと過ごした少年)


ペーター・ファン・ペルスという名前は、アンネの日記に書かれていた名前。
アンネの筆によって、初めて知った名前、それ以上には知らなかった名前でした。
だけど、誰かと過ごした人、誰かの子であり、誰かの友人、という言葉でしかその人を表現できなかったら、その人は、まるで主人公である誰かの脇役みたいになってしまう。(今まで、そんなふうに考えなかったことが、不思議です)


誰かのわき役ではないペーター・ファン・ペルスという青年はどんな青年だったのだろう。
十代の青年が、貴重な青春期に、二年以上も身を潜めて暮らすということはどういうことなのだろう。
何を知っていて、何を知りたがっていて、何を考え、何を夢みていたのだろう。
作者は、ペーターという若者の目を通して、アンネの日記を忠実に追いながら、もうひとつの『アンネの日記』を描き出すのです。


この本に描かれたペーターは、もしかしたら(いや、きっと)本物のペーターとは違っているだろう。
でも、そうだとしても、この本は、わたしに、「別の日記」の目を開かせてくれました。
そして、マルゴーは本当はどんな人だったのだろう、アンネの両親は、ペーターの両親は、歯科医ブフェッファーは、一体どういう人だったのだろう、と考えさせてくれました。
さらに、名も知らない一人ひとりのことを。自分や夫、子どもたちによく似た人もいただろう、と。
アンネの日記の外には、たくさんの人々のかけがえのない(書かれなかった)日記があることに思い至ります。