旅の窓

旅の窓

旅の窓


白いページの中心に、写真が一枚。まるで、ページに開けられた窓のようだ。
世界各地を跳びまわる沢木耕太郎さんのカメラが旅先で捕えた一瞬の画像です。

>旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向こうに、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、私たちは「旅の窓」に出会うことになるのだ。その風景の向こうに自分の心の奥をのぞかせてくれる「旅の窓」に。


トントンパットン トンパットン・・・
耳の奥から聞こえてくるリズムは、荒井良二さんの絵本『バスに乗って』のフレーズです。
わたしは、バスに乗っている。ありがたくも沢木耕太郎さんの脇で、窓外の風景を見ているのだ。
わたしひとりでは見えなかったかもしれないその風景を沢木耕太郎さんは、窓枠のなかに示してくれる。
そして、沢木さんの風景(のさらに向こうの内部の風景)を語って聞かせてくれる。


風景は、まるでミステリのようだ。
素敵な写真だね、どこの写真だろうね、美しい風景だね、よい笑顔だね、と、漠然と眺める写真に、沢木さんの言葉が加わると、ふいに、印象が変わる。その一枚が色鮮やかな物語を語り出し、忘れ難い一枚になる。


たとえば、「見る人を見る」と題された一枚。アメリカのあるスタジアムの観衆を写した写真です。
沢木さんは、尋ねかけます。
「彼らは何を見ているのか。野球か。アメリカン・フットボールか。ボクシングか」
わかんないよ。大勢の人がいるだけじゃないか。
ところが、わかるのである。この写真の中にヒントは隠されているのである。そーら、ミステリだ。
最後にはちゃんと種明かしをしてくれる。ほううう、そういうことだったんだ・・・
そして、わたしは、「ほううう、そういうことだったんだ」のあとに続ける言葉を迷いつつ、選んでいる。
この写真と、ここに添えた文章とで、読者をミステリに誘い、その先に、さらに、読者が自分で解くべき新たなミステリの扉を開いてくれるのです。


心に残るのは「記念写真」という一枚とそれについての物語。
子どもが父親の写真を撮っている。その父と子の姿を一枚の絵の中にとらえています。
最初にこの写真を見たとき、さして気にとめるような写真とは思わなかったのです。
けれども、沢木さんは、この写真を写した場所や背景を語り、そのあと、「だが、時が経ったとき…」と続けるのです。
そして、この写真がだれにとって、いつ、どのような意味を持つのかを語るのです。
なんだか、ほろりとくるのである。


「勝負師」「芸術的な皺」は、どちらも老女の写真です。老人の顔にはたくさんの物語が刻まれているのかもしれません。
でも、脇に添えられた文章を読んでいるうちに、何度も印象が変わってくるのだ。不思議な写真・・・不思議なのは写真のほうかな、文章のほうかな、と考えています。


それから「旅する一家」
大好きな荒井良二さんの絵本『バスにのって』の世界なのです。(あるに違いない、と思っていたけれど、やっぱり)本当にあったんだ・・・
だから、この写真も、この文章も、なんだか懐かしい気がするのだ。
行った事のない場所、見たことのない風景、会ったことのない人たちなのに。
心地よりリズムに揺られ、いつ来るかわからないバスを待つ。ここではきっと、時間の長さが変わる。時間の意味が変わる。
トントンパットン トンパットン。


沢木さんの語りを聞きながら、わたしは、いつの間にか、その語りのさらに奥に自分の風景を見つけようとしています。
多くは自分が嘗て見た(知った)風景と重ねている。
また、何度でも気軽にバスに乗るのだ。そのたびにきっと見える景色(のそのまた向こうの景色)も変わるに違いない。
素晴らしい旅をありがとう。