愛について語るときに我々の語ること

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)


ほんの十ページほどの短い物語は、あっけないくらいにすぱっと終わる。だけど、なんて多くの要素を含んでいるだろう。
否応なしにその前後、その奥行き、さらには登場しない人物についてまで見えてしまう。
一編一編が、たとえ一瞬を描いたものでも、どこかの情景を切り取ったものではない。
文章にしたら短いけれど、実は長い物語なのだ。


主人公たちには見えていないものや、見えているけれど認めたくないものを、読者はわかってしまう。
どうしようもない物語が多かった。救いようのない話だな、と思った。
それなのに、不思議なくらいにじめっとしていないのはどういうわけだろう。


好きなのは『静けさ』 理髪店でのわずか数分のできごと。
語り手のしぐさや、語り手の耳に残る何気ない言葉、周りの情景の、何に心ひかれたか、それについてどう感じたか・・・気にかかりだす。
語り手は(そして、登場人物だれもが)どこにでもいる人、誰にでも似ている人だと思います。
どこにでもある人生の、どこにでもありそうな話の、だけど(当たり前だけれど)ひとりひとりにとっては特別の物語。
そういう愛おしい物語の端々がおぼろに見えてくるのである。
彼自身の物語として。その場にいた人々の物語として。
窓から外を見渡せば、どこにでもある田舎町。静かなある日の昼間なのだ。


それから『菓子袋』
最初から最後までそこにあり続けた菓子袋。それなのに、存在を忘れられていた菓子袋。
大切な存在だったはずなのに、実はどうでもよかった菓子袋。
なんともいえない。感情など持っているはずのない菓子袋が不憫に思えてくる。