四人の申し分なき重罪人

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)


とてもミステリ・ファンとはいえないのですが、それでも、「これは最高!」と思えるようなミステリに出会うとうれしくなってしまいます。
好きなミステリ作品には、ジャンルを超えた何かきらっとするものがあるような気がします。
雰囲気とか、登場人物が魅力的であるとか、洒落てセンスがあることなど。それと後味がよいこと。


巽昌章さんの巻末解説「チェスタトンと魔法の庭」が素敵でした。まさに魔法の庭だ、この本。
物語のなかに、小鬼や妖精、怪物が出てくるわけではないのですが、きっといるなあ、あそこの物陰、あそこに淀む影、何かの気配があるなあ、とそんな気がする。
そもそも、この本のなかの物語は、いったいどこの国のどこの町の物語なんでしょう。地図のどのへん? さっぱりわからないのです。
ありそうでない、なさそうである。
そんな舞台の雰囲気が、今わたしのいるこの場所と地続きのように思える。それなのに実はどこともつながっていない不思議の国のようにも思えてしまう。
でも、どれもイギリスなのです。本当は、この舞台から始まって、かなり強烈な皮肉が仕込まれている。しかし、その皮肉の表現の仕方がとてもスマートで紳士的なのだ。
文章は、もってまわった言い回しで、あきれるくらいに回りくどいのですが、それをゆっくり読んでいくのは嫌いじゃなかった。むしろ楽しい。
そうだ、この文章も、この不思議の国の雰囲気にぴったりなのだ。文章にも魔法がかかっています。行間に詩神が住まっている。
まるでスフィンクスに謎かけされているみたいな本。


プロローグで、四人の紳士を紹介されます。
この四人は何者でしょう。礼儀正しいごくごく普通の人のようなのですが・・・実は重罪人。泥棒、藪医者、殺人者、そして反逆者だというのです。
四人によって語られる四つのミステリが始まる。
思えば不思議な話であった。泥棒、藪医者、殺人者、そして反逆者。確かに重罪人。
だけど、その重罪人に「愛すべき」と形容できるのは、どんな時だろうか。「やられた」と気持ちよく拍手したくなるのはどういう時だろうか。
ラストシーンには、最大級の礼をして、幕の向こうに消えていく人々を見送りたい、と思ってしまうのだ。