村のエトランジェ

村のエトランジェ (講談社文芸文庫)

村のエトランジェ (講談社文芸文庫)


戦時・戦後直ぐという時代背景の短編集ですが、時代の暗さや混乱はほとんど描かれません。(『白い機影』にちょこっとだけ)
おそらく舞台が都会をはるかに離れたひなびた田舎だからだろう。
のどかさ、風景の美しさ。空気が乾いて、日本の風景の中にバタ臭いものが混じったような印象がある。
そして、静かできちんとした佇まい。そこに混ざるのはちょっと得体の知れないいかがわしさ。不気味さ。ミステリが潜む。
実際ジャンルとしてミステリだろうがミステリじゃなかろうが、そんなことは問題ではない。人が暮らしていれば、どこにもかしこにも謎があるんだ、そんな感じ。
いろいろと起こる日常であるが、ちょっと醒めた語り手のせいだろうか、現実離れした印象を与えられる。
額縁の向こうの風景を眺めているようだ。バタ臭い、と感じたのもそういう理由かもしれない。


『白孔雀のいるホテル』
どう考えても、どうしようもない宿屋(とも言えないような宿屋)がある。
その泊まり客は、それぞれにわけあり。その日常もやはりいかがわしいのである。
その主は美しいホテルを夢みている。白孔雀のいるホテルである。
宿屋経営はどう考えてもひどい赤字に違いないだろうに、ホテルの構想だけは着々と進んでいるのである。主の頭の中で。
この現実離れしたアンバランスさったら。それなのに、粛々と過ぎていく日々は静かである。平和である。
嵐のような女が出てきたっけ。(あの短編にもこの短編にも、その短編にも・・・どれも、まったく違う女性だけれど、なんとなく似ている。)
夜中にオルゴールを鳴らす大男も、神経質な学生も。
嵐の女は駆け抜けていく。大男も、学生も駆けていく。風景はゆるぎなく変わらない。


『汽船』
小説?私小説になるのかな。エッセイ? 
本当に短い小品であるけれど、この物語のユーモアに隠れた照れや温かみが好きだ。
アメリカ人女教師の描き方ひどいなあ、と思うが、作者はこの人をとても好きなのだろう。
おもしろおかしく揶揄しているが、その文章からは、しみじみとした懐かしさ、愛しさも沁み出ている。
そして、彼女、誰かに似ているなあ、と思う。そうだ、『黒いハンカチ』のニシアズマ女史に似ているのだ、と気がついた。
想像だけれど、作者は彼女を思い浮かべるとき、思春期のぼっちゃんに戻るのだろう。斜に構えて、かわいいじゃないか。
遠く去りゆく汽船、再会はなかった女教師。あっさりと書かれるその後に、一抹の何かを勝手に感じさせてもらおう。


『ニコデモ』

――あれは満更の他人でもない。あれはクリストでもなんでもない田舎者に過ぎなかった。会ったことは一度しかない。しかし、わしは彼奴が気に入っていたのだ。
終盤のこの言葉に惹かれました。
パリサイ人として、あくまでも傍観者の立場に徹しようとしながら、徹しきれないニコデモ。
大きな流れに従いながら、それでも思わず振り返らずにいられなかった一つの影。その正体もつかめないまま、ただ「気に入っていた」という表現で語られるこの小さな物語は、言葉以上の広がりがあるような気がする。


バルセロナの書盗』
1840年バルセロナの夜に起こる連続殺人事件であるが、血なまぐさい感じではなかった。
アラビアンナイトのようなお伽噺を読んだような読後感でした。

>書物は彼の生活の一切であった。書物にあってのみ、彼は自分の生命が異常な興奮と法悦に包まれるのを感ずる。
羨ましいような気もしてくる。