祖母の手帖

祖母の手帖 (新潮クレスト・ブックス)

祖母の手帖 (新潮クレスト・ブックス)


祖母のもとで育ち、祖母を深く愛していた孫娘もまた、祖母と同じように手帖をもっているのだろう。そして、祖母とその周辺の人々について、思いつくままに書いたのだろう。
祖母の手帖が思いがけず孫娘の手元に届いたように、孫娘の手帖を今、わたしも受け取ったのだ。


祖母は頭がおかしい、という。
ひたむきに愛を求めるその心、いじらしいほどの渇望、時には露骨すぎて滑稽に見えるほどに、あまりにも純粋で、これを称して「頭がおかしい」というのはあんまりだ、と思った。
・・・ただ、可哀想だ、と思った。
自分のすぐ手の届くところにある美しいもの大切なものをこの人は見ることができない。遥か彼方の決して自分の手の届かない所ばかり、背伸びして探そうとしているみたいだったから。
彼女を苦しめる結石――「石の痛み」は、募る理想の愛への渇望が、こじこじと固まって石になったようだ、と思った。そして、内側からきりきりと彼女を締め付けるのだ。
一生のうち何度も「・・・そのために祖母は一生自分を許さなかった」と述懐するような時をくりかえさなければならないほど。・・・切なかった。


この祖母は、孫娘にとっての父方の祖母で、もう一方に、母方のリア祖母ちゃんがいる。二人の祖母は正反対だ。極端なくらいに正反対。
それが最後になって、不思議なところで二人がクロスしているのに気がついた。
真反対のスタート地点から、真反対のゴールに向かって脇目もふらずに突き進んでいくように見えた二人が、思いがけなくあまりによく似た二人だったのではないかと。似すぎて決して打ち解け合うことなんて金輪際できなかっただろうと思うほどに。
二人は、(自分でも気がつかないうちに)文学に結び付けられていたのだ。驚きと共に、その皮肉に胸が痛む。


愛と官能の物語か、と思った。空想と嘘の混じったとらえどころのない物語か、とも思った。
だけど、そうではなかったみたい。芸術というものが、文学というものが、人に何を為し得るのか…その驚きの物語だった、そういうふうにわたしは読んだ。
マキューアンの「贖罪」を思い出します。どちらも文学の驚くべき「力」に圧倒されます。
それがある意味狂気だとしても、そんなことはどうでもいいのである。愛と官能の遍歴の果てに、こんなに澄み切った世界に導かれたのだ。
・・・やられたよ、と小さな声で言ってみる。