それぞれの少女時代

それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)

それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)


1950年代のモスクワ。
物語のなかに時々混じる不穏な言葉は「密告」「ユダヤ人」「収容所(ラーゲリ)」
多くの民族が独自の文化を持ちながら共に暮らしていた。貧富の差も大きかった。
この時代の少女たちも、自分を取り囲む独特の空気は感じていたのだ。楽な時代ではないことを、大人の事情は自分たちには無関係ではないことを。
・・・けれども、少女たちにとって、それはどうすることもできないこと、吸う空気を選べないなら、それを当たり前に受け入れるしかないのだ。
第一、彼女たちは、自分たちの狭い世界のなかで生き延びるために精一杯なのだ。


少女たちの世界は閉鎖的だ。そして、独特の法があり、独特の統治がなされ、秩序が保たれる。
それは決して大人にはみえない。みえないようにすることもまた、この小さな世界の規範である。
あの独特の空気は・・・覚えがある。
何人かの少女たちの中にわたしがいる・・・
あの絶対制は、なぜあんなにも絶対だったんだろう。他愛ないことだったのに、あの頃はそうは思えなかった。


少女たち一人一人が、大切に舞台にあげられる。
同情と共感で肩を抱いてやりたい、と思っていると…いきなり肩すかしを食う。
この子たちは強い。
じっと据え付けられたままの視点が、ふっと外れた感じ。
何かを打開する行動に出るか出ないか・・・そういうことではなくて・・・なんでしょうね、このふっきれたような愉快な感じは。
彼女たちは気付いたんだ。自分の後ろ――たぶん30センチほど後ろから、この惨めさを眺めれば、これは笑える事態だってこと。
作者は、読者を主人公の30センチ後ろに連れて来て、この席にすわるように、と促したのではないかな。


暗く不安な時代だっただろう。
だけど、暗がりの中の少女たちの集団には、息苦しさも感じるが、何やら秘密めいた華やぎもあるのだ。
この少女たち、今はあのロシアの地で、どんな女性になっているのか。初老の、よい顔をしたおばさんになっているのだろうか。