チボー家の人々(9)1914年夏Ⅱ

チボー家の人々 (9) (白水Uブックス (46))

チボー家の人々 (9) (白水Uブックス (46))


ほんとうに戦争前夜なんだ。ここまできてしまった。
それでもなおしらばっくれる外務省高官リュメルの話術におそれいる。
戦争に反対する千二百万をどのように考えるか、また、世論はつくられる(支配者によって準備される)のだ、という考え方は、一体どこの国のいつの話だ、と寒々と思う。
結局、同じことを繰り返しているだけなのか。そして向かう場所は・・・
パリの群像、それぞれの立場からのそれぞれのばらばらの考えを読みつつ、そのばらばらはまずは自分の不利益にならないこと、という点から始まることをジャックの目で教えられた。


ジャックとジェンニーの、今にも壊れそうな繊細な関係を、どうかどうか・・・と祈るような気持ちで見守ります。
その一方で、ジャックの生き方を羨ましいとも思う。
率直さ、純粋さのために、人一倍苦しみ、そしてきっと長生きはできないはずだ、たぶんこの物語のどこかでわたしは彼の死に出会うのではないか、と、なんとなくそんな気がして仕方がない。
それでも、それでも・・・自分の生き方を貫く彼を「よく生きた」と言いたい。そして、そういう生き方故に彼を果報者と思うのだ。
だから、彼らの行く末を気に病みながらも、受け入れる準備はできているつもりでいる。


むしろ、どうしようもなく気にかかるのがアントワーヌなのだ。
彼は、(今のところは)成功者である。この戦争で、どのように翻弄されることになるかはわからないけれど。
医師としては抜群の腕を持ち、さらなる向上心もある。師にとってはかわいい弟子、後輩たちにも慕われる。
如才なく立ち回り、人当たりもよい。常に恋人に事欠くことはない。
それでも、彼はからっぽなのだ。そのからっぽさに、自分で気がつかない(気がつかないように努めている)ことが一番気がかりなのだ。
ジェンニイーは、アントワーヌの目がきらいだという。その理由を尋ねたジャックに、彼女は言う。
「さあ……いいいことと、よくないことの見わけのつかない、見わけができなくなったというような目……」
どういう意味なのだろう。ジェンニーは、アントワーヌの内面の窓として、彼の目を見ていたのだろう。
アントワーヌは自分の生を生きていない。ジャックとの対比で、それがことさら不安にさせる。