レンブラントの帽子

レンブラントの帽子

レンブラントの帽子


人付き合いでの思いこみや誤解が、どうってことない一点から始まって、ずんずん深みに嵌っていく。
ほとんど偏執的なまでに突き詰めていく。
その一瞬一瞬の息詰まるような内面の物語がまるでサスペンスのようでどきどきしてしまう。


相手にしているのは他人のはずだったのに、いつのまにか自分自身が相手になってしまっているのではないかな。
現実の相手から離れて妄想相手の独り相撲になっているのではないかな。
読者としては傍観者でいたかったのに、いつのまにか巻き添えを食っている。
わたしは一作目『レンブラントの帽子』のアナーキンになって、自分の何がルービンをあんなに怒らせたのだろうと考えないではいられなくなる。
また、『引き出しの中の人間』のハワードになり、旧ソヴィエトの体制に戦々恐々としながらも、不運の作家のことが気になって仕方がない。


三作目『わが子に殺される』では、青年の父になる。これが一番身にしみました。
父の行動はあまりに異常で、読んでいていらいらする。同時に、父の孤独と寂しさやるせなさが、哀れである。
その悪循環から一歩外へ思い切って踏み出すことはできないかな。そしたら、自分の惨めさを笑い飛ばすこともできるだろうに。
できることなら、本の中に入っていって引きずり戻してやりたい、と切に思う。それが出来ないジレンマにいら立つ。


そして、三つの物語の歯がゆさの爆心地にずばり切り込むかのような『レンブラントの帽子』のラストに、ほっと息をついています。