昔日の客

昔日の客

昔日の客


決して気取ってなんかいないのに、気品がある。一言でいえば美しい本。


時をこえて、昔日の彼方から、古書店山王書房」があらわれて、私を招いてくれた。
わたしは、この本を開きながら、山王書房の書棚の前に立つ客になる。
そして、店主と客たちのやりとりや、家族の話、さらには、作家たちとの交友の一端をのぞき見る。


ことに、店主の目に映る様々な客たちの思い出を綴った文章が好きです。
儲けを「リアリズム」と言って否定しないにもかかわらず、店主の本への愛は、本を愛する客を見る目に繋がっている。
そして、くりかえされる日常のなかで、忘れられない小さな光景がひとつひとつ、くっきりと浮かび上がる。


お客のほとんどは地道に生きる普通の人たちだろう。
ある日寄った古書店で、思えばたいして劇的なことがあったわけではない。
忘れちゃおうと思えば、忘れてしまえるその一場面が、何かぼんやりと明るい光を放っているようで忘れ難い。
それはここが古本屋だからだろうか。
古本って、人の手を経ることによって、元の持ち主や店主、客の思いを汲んで、本そのものが何やら心を持ってくるような気がする。
そういう本に関わる人の結びつきは、時に忘れられない思い出(たとえその場限りの関係になったとしても)になるのも不思議ではないと思う。
まして、本と客を仲介するのは、「こういう」著者であるのだから。


読みながら付箋をたくさん貼って、読みながら付箋を全部はがした。付箋は意味がなくなってしまった。
どのページもどのページも、どの章もどの章も、みんな大切だった。
引用したい言葉もたくさんある。だけど、それ以上に、この本全体の空気感をどうしたら引用できるか、と思ってしまう。
この空気のなかで、ゆっくりゆっくり呼吸するように、この本を読みたい。そう思いながら読んでいた。


>・・・残念ながら、その時代にいらっしゃれなかった皆様、父の魂の込められた、この一冊が「山王書房」でございます。
いつまでも、そして何度でもいらしてください。
著者の長男・関口直人さんは『復刊にさいして』という巻末の文章を、このように結ばれている。
そうだ、この本を手にしたら、いつでもわたし、山王書房の客になれる。
書棚の前に立っている。店主・関口良雄さんが客と語る話を、ゆったりと聞き流しつつ、聞いている。
至福の時間。