シフト

シフト (福音館の単行本)

シフト (福音館の単行本)


高校を卒業して、大学が始まるまでの夏休み、クリスは親友のウィンと共に、アメリカ横断の自転車旅行をした。二カ月かけて。
だが、ゴール寸前に、ウィンはクリスの前から姿を消してしまった。
旅を終えて大学に進学したクリスの前に現れたのはウィンの親(経済界の大物)に雇われたFBIの捜査官。
ウィンの失踪についてクリスが何かを隠しているのではないか、と疑っているのだ。
すっきりしない気持ちで大学の新学期を過ごすクリスは、二人の自転車旅行の日々を少しずつ思い出している。
最初のころから。いや、もっと前。クリスとウィンが出会ったころから・・・
――いろいろあったのだ。


二人の自転車旅行の日々のスナップの一枚一枚は輝きに満ちている。
若いからこその無茶苦茶も、ぞっとするような危機一髪も、思いがけない旅先での出会いや人の親切、遭遇する景色や事件・・・
だけど、最初から、この旅には不安がつきまとっていた。
クリスは最初から気がついていたのだ。ただ、気がついている、ということを認めたくなかった。
ウィンにとって、この旅は・・・
それが、旅につきまとうもやもやとした不安になる。
読む者にとっては、重くたれこめているものが気になり、明るい夏景色を堪能しきれない。


旅の日々の中で、忘れられないのは、駐車場で車から漏れる不凍液を舐めている狂ったマウンテンゴートに遭遇したときのこと。
レンジャーは「(このマウンテンゴートは)マウンテンゴートとして生きることを忘れちゃっている」と言う。
そしてこの野生動物には、安楽死以上にはほとんど道は残されたいないのだというのだ。
この言葉が印象に残っているのは、この哀れなマウンテンゴートに、ウィンを重ねていたから。
クリスもそうだっただろう。だって、これはクリスの一人称語りの手記だ。
試行錯誤しながら、せいいっぱい頑張って自分の道を自分で切り開いてきたクリス。そして、これからもそうしていくだろうクリス。それだけの力に満ちたクリス。
一方、人もうらやむほどの財力と名誉を約束された輝かしい未来がすでに親に用意されたウィンは、自分で何かをなしとげた記憶なんてなかったのではないか。
何かを自分で決めた(決めさせてもらえた)こともないのではないか。
(このままでは、彼の先に待っているのは「安楽死」かもしれないじゃないか、という不安さえ湧きあがってくる)
親は本当に子のためによかれと思って「それ」をしているのか。
よかれと思ってしたことの先に子どもを待っているのがこのマウンテンゴートの姿だとしたら、あまりに辛すぎる・・・わたしには、とても痛い場面でした。


クリスはウィンをみつけることができるのか。
思い出の風景のどこに、思い出の出来事のどこに、ウィンは隠れてしまったのか。
そして、なぜ隠れたのか。
いや、なぜ、クリスは彼をさがしているのか。さがさないではいられなかったのか。


最後に物語は突然反転します。
少しずつ少しずつ、読み進めてきたいくつもの旅のスナップを、はっとして振り返ってみる。ふりかえらずにいられなくなる。
そのとき、これまで感じていた不安の陰りが一気に吹き飛んだことを知ります。
ただただ輝きに満ちた、二度と戻れない本当の輝きに満ちたかけがえのない風景になるのです。
戻る必要はない。戻らなくていい。
それでいて、そこになくてはならない唯一無二の風景となっていた。
ウィンにとって? もちろん、ウィンにとって。
そして、クリスにとって。実は、クリスにとっても、このふりかえりはなくてはならないものだったのだということに気が付きました。


二人の青年が大きく成長するための(次の段階へ、自分自身を自分で押し上げるための)鮮やかなシフトの物語である。
二人とも、再び走り始める。各々の走りかたで各々の道に向かって快走していく。一回り大きくなって、逞しくなって。それが嬉しい。清々しい。
クリス、ウィン、いつかわたしのところにも絵ハガキを送ってほしい。これからあなたたちが出会う風景、出来事の絵ハガキを。
気持ちのよい風が耳の横を吹いていく。目の前に世界が開けている。ペダルを踏む足に力を込める。