心のおもむくままに

心のおもむくままに<新装版>

心のおもむくままに<新装版>


老いて、病気をして、一命をとりとめたものの、自分の余命があとわずかであることを確認したオルガは、自宅で一人で死を迎えることを決意する。
オルガは、病院を退院した日から、手紙(日記? 手記? 遺書?)を書き始める。ただ一人の孫娘に。
孫娘にとって、オルガは唯一の身内。オルガは一人で孫娘を育てた。
孫娘は今、アメリカにいる。手紙は一切書いてくれるな、との言葉を残して旅だち、二カ月。便りはない。
オルガは、孫娘がこの手記を手にするとき、自分はこの世にいないことを知っている。
そして書く。
「逝ったものが胸にのしかかるのは、いなくなったためというよりも、おたがいに言わなかったことがあるためなのだ」から。


日記として、孫娘への静かな語りかけとして、オルガは自分の人生を振り返ります。
たくさんの「いなくなったためというよりも、おたがいに言わなかったことがある」ままに、別れていった愛しい人々・近しい人々の思い出と悔恨。
老いて、死を前にしたオルガの言葉の一言一言は、磨き抜かれたようで、静かに心に沁みてくる。
時にわたしは、オルガの娘や孫、恋人や母になり、でも大抵の場合はオルガの気持ちで、この本を読んでいた。
わたしはいつの間にか、手紙の受け手である孫娘よりオルガに近い場所にいたのだ、と感慨がわいてくる。


オルガは、決して完璧な人間ではない。
オルガの言葉を読みながら、わたしは時に反発する。
そうじゃない考え方や見方もあるのだ。あなたにとって満足できる生き方が、他の人を傷つけているのではないか。
一見思慮深く見えるけれど、虫がいいのではないか。
・・・そう思いながらも、未熟な部分も含めて親しみを感じるのは、オルガに向けての反発が自分に向けての反発であることに気がついているから。
そして、それ以上に、オルガからの思いがけない言葉の深み・重みを受け取り、はっとする。
通り過ぎてしまう前にもう一度、ゆっくりとゆっくりと読みなおさなければ、と思う。
この本のなかで、ある人物がオルガに言う。
「完全な人を信じてはいけない。答えがいつも頭のなかに用意されている人は警戒すべきだ。心で話す人しか信じてはいけない」
そういうことなんだ・・・
オルガは常に語りかける。問いかける。孫娘に対して、という形をとりながら、読み手であるこちら側に。
これでよかったのだろうか。そうではないほうがよかったのか。と。
オルガ自身、自分が完全ではないことをよく知っている。
そのうえで、確かに伝わってくるのは、読み手に対する限りない慈愛。
一つの「おもしろい」(そして、他の幾多の人生と同じように苦しみの多い)人生の振り返りとそこから生まれた言葉とを大切に受け取る。