花言葉をさがして

花言葉をさがして The language of flow

花言葉をさがして The language of flow


ヴィクトリアは孤児で、18歳になるまでに、いくつもの施設、何十組もの里親のもとを転々としてきた。
転々として・・・つまり、何十組(!)もの大人たちに、いったん受け止められながら、やっぱり「いらない子」と放り出され続けてきたわけである。なんという残酷な仕打ち。
次から次に彼女の存在価値までも否定され続けてきた。こんなことを繰り返し十年以上も何十回も繰り返されたら、大人だってどうかしてしまうよ。
――里親制度、子どものためによかれと思って作られた制度であろうが、場合によっては虐待になってしまうのではないか。
傷を負った野生動物のような彼女が、他人を一切拒絶する激しいエネルギーに圧倒されます。近づいただけで火傷しそうな炎のようだった。


ただ、9歳の時、里親となったエリザベスという女性のことは特別。
エリザベスにとっても、ヴィクトリアという子は唯一無二の子だった。
二人が一緒に暮らしたのは一年ちょっと。
物語はヴィクトリアの現状をスタートに、彼女が生きていく道程をつづる。
同時に、エリザベスに出会ってからの過去の思い出もまた、少しずつ、語られていく。


花言葉」が、重要なアイテムとして描かれます。
嘗てエリザベスに教えられた草木花の花言葉、そして、草花の魅力を引き出す天与の才能が、ヴィクトリアの未来を開いていきます。
でも、仕事で成功しても、他人を受け入れられない、愛すること・愛されることができない(彼女が育つ過程で受けた傷はあまりに深すぎる)――それで、ほんとうに成功したといえるだろうか。


現在と過去(約9年前)の物語が、交互に少しずつ進行していきます。
エリザベスが、ヴィクトリアのけがをした手を、丁寧に丁寧に洗い消毒して手当てをする場面がありましたが、この場面が、そのままエリザベスのヴィクトリアへの接し方の象徴のようでした。
強い意志と決してあきらめない愛とが、ヴィクトリアの心の頑なさを溶かし、深い傷を癒していくように思いました。長い長い時間をかけて。
だけど、その様子が丁寧に語られれれば語られるだけ、なぜ今エリザベスはヴィクトリアのそばにいないのか、といっそう不思議になる。
そして、その「不思議」に向き合うことが、ヴィクトリアの「今」を解放するための鍵になるのだろう、と予想して読み続けます。


ヴィクトリアがエリザベスを「今まで会った大人とは違う」と感じたきっかけは、二人がすごく似ていたからだった。
エリザベスは、なぜヴィクトリアをひきとったのだろう。
彼女にとって「娘」とは、自分自身ではなかったか、と思うようになる。
母に愛されなかった過去の自分を、ほかならぬ自分自身の手で愛のうちに育てなおそうとしたのではないか、と思う。
自分を生き直そうとしているようにも思われるのです。


母と子とはいったいなんなのか。
子は、いくつになっても、やっぱり「母」を求めるのか。愛されなかったのに。いや、愛されなかったから、愛されたかった。無条件で受け入れてほしかった。
何組かの幸薄い母(代母であるにしろ)と子とが出てきた。
残酷なほどの試みにひきあわされつつ、母と子の絆をさがそうとする手探りが痛々しかった。


苔の花言葉は「母性」だという。苔は根がなくても育つのだという。
どんなに否定されて否定されて、否定されたとしても、人として「価値がない」なんてことは誰にも(本人でさえ)決められないのだ。
「母性」という花言葉が何度でも生き直そうとする傷ついた女たちに、勇気を与えてくれるような気がします。
その言葉を花開かせる存在が愛おしくてたまらない。