チボー家の人々(7)父の死

チボー家の人々 (7) (白水Uブックス (44))

チボー家の人々 (7) (白水Uブックス (44))


アントワーヌとジャックの父オスカール・チボーが病床にて死に至るまでの描写が、前巻に引き続き、事細かく描かれる。
この丁寧さを前巻では、冷たい、残酷、と感じたのでしたが、ここまでくると、誰もがいつか迎える瞬間(もちろん自分も)と思えて、息を殺すようにして見守っていた。
むしろ一つの死を前にしての周りの者たちの狼狽ぶりのほうが滑稽で、死に赴く人のあけすけな描写はいっそ尊く思えさえした。


父が大切にとっておいた過去の手紙を読むアントワーヌは、ジャックと父の「暗黙の性格的類似」に気付き、そのために父がジャックの冒険的な性格を嫌悪したのではないか、と考える。同感。
正反対の道を歩いているように見えるけれど、確かに二人、似ているように思えた。あの激しさ・・・
(アントワーヌはもしかしたら、母に似ていたのかもしれない。)


最後のアントワーヌとヴェカール神父との神学論争(?)は、読み応えがあった。
アントワーヌの言葉は、作者自身の考え方の反映だろうか。
神父とアントワーヌ、あまりに極端で、どちらにも与したくないのだけれど・・・どちらかと言えばアントワーヌ。
アントワーヌの言葉は言葉どおりに受け取っていいのだろうか?(あまりに理詰めで青臭く感じた。彼はまだ若い)


ここ(父の死)に至るまで、さまざまな場面で、医者としてのアントワーヌの死生観(?)に関わる悩みを見てきた。
そして、父の死への関わり・・・
吹っ切れたような感じは、主に彼の宗教に対する考え方(それを、言葉にして朗々と論ずる態度)と、結びあっているように思う。
だけど、これが完成品ではないはずだ。きっと、まだ途上なのだ。
この先、彼の内面がどんなふうに変化していくのか、(深い苦しみが待っていそうな予感がするのだけれど・・・)
見守っていきたいと思う。
ジャックも気になるけれど、今は、アントワーヌのほうが気になる人物になっている。
穏やかな彼の内側には、黒々として深い穴が開いているような気がしないか。
父の枕頭の彼、ヴェカールと言葉を戦わす彼、見ていて、そんな気がしてしまった。
その穴に引っ張り込まれまいと、彼自身気がつかないままに踏ん張っているのではないかと…


次巻は「1914年夏」第一次世界大戦の年だ。・・・とうとう戦争が始まるのか。
アントワーヌ、ジャック、ダニエル(手紙だけだけれど)が、この巻で束の間再会できたことは、どんな形であれ、幸福であったと思う。
考え方も立場も違う三人は、この先、友として向き合うことができるのだろうか。