ンガイの指がなるとき

ンガイの指がなるとき (1971年) (創作童話〈2〉)

ンガイの指がなるとき (1971年) (創作童話〈2〉)



1971年1月30日発行。40年前の本。
作者寺村輝夫さんといえば、卵焼きが大好きな王さまの姿がすぐに思い浮かぶのですが、こういう冒険ファンタジー(だろうか?)も書いていたのですね。
舞台は東アフリカで、作者はマサイ族の部落を何度も取材して、この物語を書いたそうです。
マサイ族を参考にしながらも、マサイ族のお話というわけではないそうです。


アフリカの草原が、目の前に広がるよう。
生命に満ちたおおらかな世界。
人と獣とがそれぞれの領域を守って共に暮らし、保たれる均衡。
そこには命をかけて守らなければならない不文律の掟がありました。
それを侵した時に下されるのは厳しい審判。大人だろうが子どもだろうが関係なく。
生きていくために、そして、この地全体の平和を守るために、とても大切なことでした。


ンガイというのはキリガたちの神さまの名前。
雷が鳴るのはンガイが怒って指を鳴らしているのだそうです。


作者はアフリカのイメージをこの本の主人公、10歳のキリガと言う少年に重ねたのだと思います。
ンガイの指が鳴った日、キリガは、不思議な出来事に遭遇し、それがきっかけで、思いがけない体験をすることになります。
そのためにキリガ自身が引き受けなければならなくなった災難と、
ずるい外国人によって、キリガの部落全体が引き受けなければならなくなった災難と、
ふたつの出来事がこんがらかっていきます。
キリガは、幼いながらにアフリカに育てられたアフリカの子としての知恵と勇気、倫理観を身につけて育っています。
でも、キリガはちっともスーパーヒーローではなくて、やっぱり10歳は10歳。ごく普通の子どもらしい子どもです。
人懐こさや甘え、短慮、無鉄砲さもあるし、おしゃべりだし。
時々、好奇心や目先の楽しみに負けて自分を押さえることができなくなってしまいます。
おかげで、余計なことをしてしまい、読者としては何度もひやひやさせられます。
でも、見ていると、なんだか微笑ましい。


世界には、なんてたくさんの民族がいて、文化があり、暮らしがあるのだろう。
自分の知っている常識に当てはめてしかものを考えられない愚かさを、悪役である白人たちに思います。
彼らが間違っていたのは、相手のこと(暮らし・価値観・文化)をよく知らないまま、自分たちの価値観にあてはめて、賢い者とそうではない者とに分けて考えていたことだろう。
敬意のかけらもなくて。
自分たちにとっての常識も善悪の判断も、ところ変われば通用しない。
白人二人組の「ずるいことをして儲けたい」という思いが、自分たちの預かり知らない世界で空回りする茶番に、苦い笑いを感じています。