夜の小学校で

夜の小学校で

夜の小学校で


夜の小学校と言えば・・・ずいぶん前のことなのですが、
ある深夜に近い時間、校庭で、こうこうと明るい月に照らされながら、私は自分に影があることに気がついて驚いていました。
光があれば影があるのが当たり前なのだけれど、近頃は、夜道も街灯のおかげで明るい。
街灯でできる影に見慣れた目には、月の光だけでできる影は美しい不思議でした。
純粋に月明かりだけの影を見られる場所って、私のまわりにはほとんどないのだ、ということも、この時に知った。


中学校の頃、部活を終えて、少しゆっくりと帰り仕度を整えた後の、学校の雰囲気も好きだった。
賑やかな音と動きに満ちた学校は、夜になると表情を変えます。
闇の帳に包まれた校舎には、騒がしさが収まったあとの独特な気配がある。
怖い、と思うときもないわけではないけれど(誰もいないはずのトイレから水の流れる音がしたりね^^)
どちらかというと、夜にくるまれている、という印象が強いのです。静寂にも、ぬくもりがある。
闇に敵意はない。共感に満ちた存在がともにいるような感じ・・・
この本を読んでいたら、遥か昔に忘れかけていた、そういう夜の学校の空気が自分の皮膚の上に蘇ってきました。


さて。

>当分のあいだ、「ぼく」は桜若葉小学校というところで、夜警の仕事をすることになった
夜警のぼくが、だれもいない(はずの)小学校で出会った不思議な出来事、不思議なものたちの物語。
夜警日誌には書かないけれど、自分のスケッチブックに書かれた出来事を集めたものです。


ここに出てくる出来事は、どれも不思議なことばかり。魔法みたいなことばかり。
なぜ、とか、どうして、とか、それから、とか・・・そういう話にはなりません。
必要ないのだ。
だって、だって・・・
だって、夜の小学校には、そういうことがあるものなのよ。
実際体験したわけではない。
だけど、夜の小学校には、昼間とは違う「普通」があるのだろうと思う。
その「普通」が魔法だというのなら、それを受け入れるのもまた、「普通」というものだろう。
度肝を抜かれた、なんて言ったら野暮というもの。


夜警さんのあとについて、目の前に現れた不思議たちが、ごく普通にそこにいるのを
普通に受け入れられるのは、やはり夜だからかもしれない。
夜の空気はそれだけで魔法なのかもしれない。
夜の小学校と昼間の小学校と、どちらが本当の小学校の姿なのだろうか、と考える。
きっとどちらも本当の姿なんだよね。
こんなにも違って見える顔がおもしろい。


夜警さんのお話は全部で18話。夜警さんのスケッチブックに書かれたお話だから、どれも短いのです。
でも、どのお話も、しみじみと楽しくて、もっともっと読みたい、と思った。
ことに最後の二つ、17話と18話が素晴らしい。


17話は、夜の図書室の姿です。そのイメージの豊かさに、ああ、と思う。
この魔法は、たぶん…本と図書館を愛する人なら、そして、特別な「呪文」を知っているなら、誰でも出会えるような気がします。
その特別な「呪文」が、この物語なのではないかしら。魔法にかかる方法を教えてくれたこの物語。
岡田淳さんは、どうして、こんなに美しい魔法を、読者にかけることができるのでしょう!)


そして、最後の18話を迎えるのです。
読み終えて、静かにこの本を抱きしめたくなった。