ハンナの記憶

ハンナの記憶 I may forgive you

ハンナの記憶 I may forgive you


物語を読みながら、あのときのことがまざまざと蘇ってくる。
そうだ、関東地方の2011年の春はあんな感じでした――


I may forgive you.(あなたを許してあげてもいい)
と、ただそれだけが書かれたクリスマスカードが海外から波菜子の祖母に届く。
それはどういう意味なのか、差出人はどういう人なのか。
祖母の荷物の中から、頬寄せ合った二人の少女たちの古い写真と、67年前の交換日記をみつける。
14才の波菜子は、この少女たちの過去を探し始める。


祖父がイギリス人だったハンナが、外国人として戦時中受けた差別、そして理不尽な処遇。
純粋な軍国少女だったシズも、戦火のなかで次々に襲ってくる苦痛と戦っている。
二人とも14才だった。今の波菜子と同い年。
時代の異なる二つの青春が重なる。


当時、敵国に住む自国民を帰国させる引き上げ船があった。
イギリスの船もあった。でも、ハンナの家族は乗らなかった。
この国に残った外国人は何人もいた。理由はさまざま。様々な理由があるのは当然。
中でも、みき代さんのご主人の言葉が強く心に残った。

>「日本に生まれ育ったんなら日本にいたいと思って当然だろう」
「日本」という文字を別の時代の別の地名に入れ替えることもできるのだ、と思いながら、読んだ…


主人公波菜子の祖母が、テレビの被災地の映像を見ながら、
「こんな感じだったのよ」「日本中どこもかしこも焼夷弾にやられてね・・・」と話す場面がある。
戦争を体験したお年寄りから、実際、同じような言葉をわたしも聞いたことを思い出す。
「まるで戦争だ。戦争よりまだひどい・・・」って。


ハンナとシズの禁じられていた交換日記を読みながら、
二人の文章の微妙なズレがどうにもこうにも居心地悪くて仕方がなかった。
戦時であった。
14才の普通の少女にとってどんなに耐えがたい日々であったことか、想像にあまりある。
相手に心寄せようとはしている。
そして、ここでは楽しいことを書こう、という。(あえてそう言わなければならないほど、二人には過酷な青春期であった)
でも、二人の置かれた状況はあまりにも違いすぎた。
違いすぎて、相手の境遇を推し量ることができなかったのではないだろうか。
苦しい現実の中で自分を鼓舞することで精いっぱいだったのではないだろうか。
その微妙にズレた感覚の、どこをどう修正したらよいかわからない歯がゆさが、震災後の、現在の自分の居場所に似ている。
わかってほしいと思う。わかりたいと思う。
いつのまにか交換日記のシズちゃんに自分を重ねている。
正しいことってなんだろう。今すべき一番大事なことはなんだろう。
あの日から時間が経つにつれてどんどんわからなくなってきているのだ。

>知らないってことは時として、だれかが心の底にうめたガラスを、ブルドーザーのようにえぐりだして粉々にしてしまうのだ。


波菜子は考える。波菜子の思いが、大きな声になって、私の胸にも刺さる。

>戦争も原発事故も、人間の手から生まれた惨禍だ。その惨禍を被るのもまた人間だということを、私たちはどれだけ歴史をくりかえしたら悟れるのだろう。


I may forgive you.は、たぶん、相手に言ってやりたい言葉であり、言ってもらいたいことばだった。
口を閉ざして語らなかった本当の自分があったように、相手にもやっぱりそういうものがあったはずだ、と気がつくのに長い時間が必要だった。


わからないのが当たり前なのかもしれない。
時間をかけてゆっくりわかってくることもあるのかもしれない。
白か黒かと問われて、反射のように「白!」と言わなければ、排除されるような考え方は、怖いと思う。
正義をふりかざして、人の痛みが見えなくなるのも怖いと思う。


どんどんわからなくなっていくなかで、頼りになるのは「記憶」なのだ。
誰にも語ることのできない記憶、語らせるのは酷な記憶をなぜ、波菜子はこうも熱心に探すのだろうか、と思った。
それが個人の「記憶」だから。(祖母が認知症になりかけている、という事実も大きな意味を持つ)
誰にも知られずに、埋もれていってしまう記憶だからだ。埋もれさせてはならない記憶だからだ。
たとえどんなに時間がかかっても、記憶している、というところからしか何も始まらないからだ。