ひぐれのお客/ひぐれのラッパ

ひぐれのお客 (福音館創作童話シリーズ)

ひぐれのお客 (福音館創作童話シリーズ)

ひぐれのラッパ (福音館創作童話シリーズ)

ひぐれのラッパ (福音館創作童話シリーズ)


『ひぐれのお客』を読んでいたら、もっと読みたくなって、続けて姉妹編『ひぐれのラッパ』を借りてきました。


美しい、愛おしい、と思い、同時に懐かしいような気持ちになる童話集でした。
懐かしい、ということは、嘗てこの光景を知っているような気がした、この言葉を知っていた、そんな感じ。
それは今ここにはない、ということでもあります。
だから、このお話の世界も、きっともうすぐ消えてしまう。読んでいる間、ずっとそんな気がしていた。
そういう儚さや不安を内包して、美しいものはよりいっそう美しく、明るいものはよりいっそう明るく輝く。
時々怖いくらいに・・・


好きなのは、
『初雪のふる日』(ひぐれのお客)
何かに追いかけられる怖い夢を見ているような感じでドキドキするのだけれど、このお話を絵にするなら、ただもう真っ白なのです。
真っ白な雪のなか、真っ白な雪うさぎたち…そのまんなかを、小さな女の子が夢中で石けりの輪をぴょんぴょん跳んでいく・・・
清潔なくらいにきんとした色のない世界に、女の子の体温とリズミカルな動きが、ぼおっと明るく浮き上がるイメージです。


『ひぐれのお客』(ひぐれのお客)
赤といってもこんなにたくさんの赤、そして、そのイメージの豊かさ。
ネコと裏地屋さんの会話を読んでいるだけで、沢山の赤い色が目に見えるようだった。その色がイメージする風景も見えるようだった。


『連作・とうふ屋さんの話』より『ねずみの福引』(ひぐれのラッパ)
冬枯れた草はらの、真っ暗な中に、たくさんの線香花火の花が咲く場面が、頭の中に映像になって映し出される。
神秘的な美しさに息をのむようでした。


『春の窓』(ひぐれのラッパ)
「窓」を題材にした童話は、好きなものが多いような気がします。
こんな窓があったらいいなあ。
あったら…いつか、あらぬ方向に足を踏み出しそうな気がして不安で、きっと心穏やかには暮らせないだろう。
だけど、それでも、やっぱり、その窓から外を覗いてみたい。


…ふと思った。
「取り返しのつかないことをした」と唇をかんだことがあったなあ、と。
よいもの、美しいもの、明るいもの・・・もう少しで自分のものになるはずだと思っていたのに、
ほんの一瞬指先に触れただけで、逃げていってしまった・・・。
逃げていってしまったものは、二度と戻ってはこないから、いつまでも美しいまま、思い出すたび、ずきずきと疼く。
安房直子さんの童話集を読みながら、そういう「取り返しのつかないこと」を思い出しました。


かけがえのないものが手の届かないところに行ってしまう物語は、本当はちっとも幸せじゃないはずなのです。
この童話集は、口先だけの優しい物語ではない、と思います。
持っていき場のない思い、空っぽ感のようなものに、あたりさわりのない言葉で慰めたり、ごまかしたりはしない。
ただ、こういうふうに、こういうところにおさめる方法もあるんだな、としみじみ知らされた。
怖い話も暗い話も、寂しい話もあったのに。
失くしてしまったものにまた会えたような懐かしさを感じて嬉しかった。
物語は、暗がりの中にまたたく小さな星たちのようでした・・・