雪と珊瑚と

雪と珊瑚と

雪と珊瑚と


>自分には絶対に頼れる、甘えられる人というのはいないのだ。
21歳のシングルマザーである珊瑚が、熱を出したわが子を抱いて、思う。
この言葉に寒々として、わたしは、無意識に、彼女のまわりにぬくもりをさがしていた。
人は一人では生きていけないのだ、ということを、このささやかな親子を見守りながら思う。
思えば、この物語は、人を受け入れる物語であったかもしれない。
いろいろな形の繋がりを、珊瑚は吟味し、ひっかかり、悩みつつ、
まるで、料理の素材や味を吟味するように、味わうようにして、とりこんでいく。
他人との関係も親子の関係も…「世間的な尺度」を越えたところで、自分なりの味わい方で、大切に。
そうか、人とのかかわりは、料理することに似ている。料理したものを味わうことに似ている。
素材の持ち味を上手に引き出すことができたら幸せだ。
素材と素材とを合わせる絶妙なバランスを見つけられたら幸せだ。


おいしそうな、体にも心にもよさそうな料理がつぎつぎ出てくる。
そういうお惣菜が並ぶカフェも出てくる。その佇まいに夢中になる。
ああ、近くにあったなら、絶対通い詰める。もちろん一人で、本を持参で、午前中がいい。
真面目に誠実に取り組む有機の畑も出てきた。土も作物も、愛おしくて頬をよせたくなるほどだ。


主人公を含めて、この物語の登場人物や背景に、思っていた。
これは再会かな、と。梨木香歩さんの過去の作品に現れたあの人この人の再来かなと。
西の魔女が死んだ』のおばあちゃんがほんのちょっとだけ若くなっていたり。
『僕は、僕たちはどう生きるか』のあの子たちがちょっとだけ年を重ねてここにいたり。
一番強く感じたのは、『からくりからくさ』の彼女たちが別の姿に変容して、今、ここにいるのではないか、ということだった。


これは『からくりからくさ』・『ミケルの庭』の続きの話のようにも思える。
わたしは、『からくりからくさ』の世界が大好きだけれど、いつも、ごく小さな疎外感を感じていた。好きだ、と思えば思うほど。
『からくりからくさ』の中で使われていた「結界」と言う言葉。
なぜか、わたしはいつも自分があの「家」の「結界」の外にいるような気がしていた。それが寂しかった。
年月を経て、私の思う「結界」が、この物語『雪と珊瑚と』には、なくなっているように感じた。


そういえば、いつから梨木香歩さんの物語から結界が消え始めたのだろう。
最近の梨木香歩さんの物語は、一度作った結界を、取り払おうとしているように思うのだけれど。
(それが時には性急すぎて不安になることもあるのだけれど、これからも、きっとさらなる変容を続けていくんだろうな。どこに続いているのだろう)


この物語は閉じていない。
物語は、いろいろな要素をからめつつ、いつでも、何にでも変われる要素をたくさん残している。
そして、人。ほんの一部の面しか見えない人々の姿には、さらに続きの出会いと物語とを期待させる。
結界はきっと消えたんだ。
そして、『ミケルの庭』で最後に、ミケルが伸ばした手が、この物語の雪につながっていく。
雪の最後のあの言葉に。
心も体も満たされていく…今夜はひときわ丁寧に食卓を整えようと思う。