ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ

ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ (エクス・リブリス)

ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ (エクス・リブリス)


本その物が好きなのではなくて、こうして本を読んでいる時間が好きなんだ、と思わせてくれる本がある。
ページを繰って、活字を追って…そうして、この先どこへ辿り着くのか、ということはあまり考えず、この瞬間に心預ける。
この本を読んでいられる今があることを嬉しいと思う。
この本はそういう本の一冊ではないだろうか。
たとえば、キアラン・カーソンの『琥珀捕り』を長い時間を掛けて読んでいた、あのときの歓びに似ているのです。


作家は、バスク地方の町ビルバオを発ち、ニューヨークへ向かう飛行機の機中である。
作家の目にうつること、考えること、思いだすこと、それらはほんとうにとりとめもなく、紙面に浮かび上がってくる。
物語の軸は、作家の家族三世代の物語である。
それはごく断片的に物語に現れる。
そして、彼らの親戚や友人、知人(そのまた知人)、彼らをめぐる事件、言い伝え、文化、歴史の動きなどが、物語のまわりに徐々に現れる。
それらはエピソードごとに、一つの章になったり、その章をさらに分割したりして、小さな島のように見える。
それらの島は、それぞれ、ぶつぎりで終わっていたり、余韻を誘う美しい小さな完結になっていたり・・・
あやうく忘れそうになっていたエピソードの、その続きの物語や、その始まりの物語が、ずっと後になって突然現れたりして、はっとしたりもする。


七階建てのアパートをそっくり飲み込むほどの高さの波に翻弄される孤島。
次々に沖へ出ていく漁師たち。
船の名前をめぐる謎と、その名のもうひとつの物語。
あの独裁者にまつわる話。
心で感じることの方が頭で考えだされたどんなことよりも大切だということ。
カッコーの声とポケットの中の詩。
あっというまに過去に引き戻すあの「匂い」。
復讐のために名付けられた名前。
描かれた絵と描かれなかった絵。そのモデルの物語。
ガラスの植物に関わること。
それから、たくさんの場所でのたくさんの人たちのたくさんの再開。
・・・


印象に残った物語の、印象的なイメージをこうして綴ってみながら、
激しい感情を掻き立てるはずの出来事さえも、
(たとえそれが一瞬であったとしても)静けさのなかにおさまりよくおさまるような気がする・・・

>「これを話したらきっと笑いますよ。結局はたいしたことじゃなかったんです」
そうなることもある。
でも、きっと、「結局はたいしたことじゃなかった」ということなど問題ではないのだ。
それを探してきたことや、それを続けてきたことは、姿を変えて何かに繋がっていく。


読み進むにつれて、こういうものがみんな、作家をめぐる、幾重ものなだらかな輪になっていることに気がついてくるのです。
この本の始まりは、こうです。

>魚と樹は似ている。
どちらも輪をもっている。
一瞬面食らうようなこの書き出しの「輪」、年輪が、この物語を言い表すのに一番相応しい言葉のように思う。
読み終えてみたとき、美しい年輪が描かれているのをみて、ほうっとため息をつきたくなりました。
そして、最初に現れた文章が綺麗に、丁寧にぐるりと回って、最後に閉じられた輪になる仕掛けも…美しい。
中心に向かって静かに閉じている、あるいは、中心から、波紋のように広がっている、その両方のイメージが見事に調和した年輪。