魔法の泉への道

魔法の泉への道

魔法の泉への道


ところはスーダン南部。
2008年の少女ナーヤの物語、
1985年の少年サルヴァの物語。
二つの物語が交互に進行していく。
まるで無関係に見えるこの二つの物語が、どんなふうに関係していくのだろう。
どこかで出会うはずだ、と思いながら、それを待つ。


ナーヤの物語は静かでゆっくり進む。
ナーヤの毎日は…水だ。遠い池に半日かけて水を汲みに行く。一日二回。それで一日が終わってしまう。
その繰り返し。池は泥水。でも、それがナーヤたちが手に入れられる唯一の水なのだ。
清潔とは程遠い不自由な暮らし、苦しい暮らし、
でも、あまりに過酷なサルヴァの物語の間にはさまれたナーヤの物語は、
(不謹慎かもしれないけれど)どこかしんとした清らかなイメージがありました。


サルヴァの物語は…
紛争のさなかの学校で、いきなり銃弾を浴び、はじかれたように逃げ出して、そのまま難民となった旅の物語。
サルヴァ11才から22歳まで。青春期のほとんどすべてを難民、孤児として過ごした。
悪夢のような厳しい旅路。目を覆いたくなるような残酷な事件に次々に遭遇しながら、成長していく姿を見ながら、
ああ、紛争のなかで生き延びる、ということは、多くの犠牲の中で、ただ今日この日だけを生きのびようとすること、
わずかな運不運だけで、いつ誰が(自分が)死んでも、あるいは誘拐されても、不思議はないということ。
言葉にしてしまえば、簡単だけれど、そして、「難民」という単語にしてしまえば、簡単だけれど。
いきなりその安否さえ知らずに引き離された家族、
だれもがただ自分の命以上に人の世話などできない状況のなかで、
わずか11歳。
あせりと怖れ、暗い絶望のうちのどうしようもない疲労、
それでも、たったひとり生き抜くことができたのは、運だけではない。


自分が何者であるか知っている、という誇りが、彼の頭をしゃんとさせた。
遠くを見ないで、ただ一歩だけ。
今日できることだけを考えよう。
一歩、一歩、また一歩・・・次の一歩へ・・・サルヴァの傍らに寄り添い、その一歩を応援しながら、
熱いものが胸にこみあげてくる。
不思議なことに、一歩、一歩、と声をかけているのはいつのまにかサルヴァになっている。わたしの歩みをみつめている。
彼の地道な一歩が、こちらを励まし始めている。


やがて、ナーヤの物語とサルヴァの物語がいつのまにか混ざり合っていたことを知る。
混ざり合っていた、というより、サルヴァの物語がナーヤの物語を大きく包み込むまでになっていたことを。
タイトル『魔法の泉』の意味を知った時の感動。
だけど、あとがきで、この物語が実話であることを知ったときが、実は一番感動した。
足もとだけを見ながらただ次の一歩だけを考えて、もくもくと歩を進めてきた少年は、いつの間にか、驚くほど遠くまで歩いていた。
さらに次の一歩を踏み出そうとしている。