ツォツィ

ツォツィ

ツォツィ


アパルトヘイト時代の南アフリカ
ツォツィ(ごろつき)と名乗る少年がいた。
過去も未来もない。後悔も希望もない。あるのは今だけ。
その瞳の奥にはぞっとするほど深い闇。
夜ごと、仲間たちと町へ繰り出し、鮮やかな手さばきで繰り返す強盗。


ツォツィを描写する言葉の一つ一つが、まるでナイフで削り込まれたように鋭い、激しい。
ひとことひとことの言葉が肌にぴりぴりと刺さるようで、読みながら、思わず後ずさりたくなるようであった。
ツォツィ自身の描写、彼と関わりあった人たち(さらにその先の人びと)の生い立ち、事情などが丁寧に描かれていく。
それらの人びとを通して、この国で黒人として生きるということの意味が、絶望的な確かさで伝わってくる。


物語のあらすじだけを語れば、なんだか陳腐になってしまいそうで困る。きっと、そういうことは意味がないんだ。
この物語はツォツィの物語であると同時に、
ほんのわずか登場しただけのあの人やこの人の物語でもある。
彼らの中に住まう、一見壊れやすそうで、実はとっても強靭な、「何か」の物語。
わたしは、ツォツィを中心にしながら、ひとりひとりの物語にただ耳を傾け、心預ける。
ことにシャバララとツォツィの静かで怖ろしい追いかけっこ(?)は心に残る。
あの「生きたい」という言葉はファンファーレのようで、心に響いた。そのまま最後まで胸に留まる。


もう一つ印象的なのは、「名前」です。
ツォツィの遍歴は、探す旅なのだけれど、
彼には過去がなかった。自分の名前さえも覚えていなかった。
名まえを覚えていない、というだけで、彼という入れ物の中身が虚ろな闇のように感じた。
本当の名前を思い出すことは、一つの勝利の証でもあろう。


最後の場面。
救いなさよりも悲しさよりも、もっと大きく心に広がってくるのは、なんとも言えない明るさ、静けさ、そして爽やかさ。
あの中盤での「生きたい」という言葉が蘇ってくる。
このラストシーンはあの「生きたい」に繋がっている。そして、このラストシーンは、あの「生きたい」の中に戻っていき、
生きている。
そう思った。