- 作者: デイヴィッド・アーモンド,David Almond,山田順子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2004/06/25
- メディア: 単行本
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すたれていくサーカスも、小さな町の停滞感も、ともに滅びのイメージがある。
滅びの予兆の暗がりのなかで、輝く何かがあちこちに散りばめられたような、物語のイメージがかなり好きです。
ジョーの中には虎とヒバリがいる。
思春期頃なら、何か自分の中に猛々しいものの存在を感じることがあるのではないか。
それを思い切って体の外に放ってやりたい、という強い衝動をもてあましているのではないか。
その方法がわからないんだ。
だから、ジョーの友だちスタニーのように残酷で禍々しいものに惹かれることもあるだろうし、
見かけにごまかされて、求めているものとは真反対の方向に惹かれることもあるだろう、
あの集団のいじめっ子(?)たちのようにぷすぷすとくすぶり続けることもありうるのだろう。
ジョーが特別だったのは、ジョー自身が、彼の中には、虎だけではなく、ヒバリもいる、と知っていたからではないだろうか。
ヒバリは弱く小さな小鳥。だけど、小さな体で空高くとびあがり、美しい声で歌う。
力ある大きな虎とヒバリが共存できる、ということは、重要な意味があると思う。
猛々しく美しい。大胆で繊細。
そして、滅びを受け入れることは(終わろうとしているものを終わらせるということは)どういうことなのだろう。
老女ナンティはいう。
「すべての終焉の日に、全ての始まりの日をみつけだせるのかもしれない」
少年が大人になるということをこの言葉に重ね合わせてみたい。
子どもの日を終わらせることが、新しい自分自身の始まりなのだ、と。