少年は残酷な弓を射る(上下)

少年は残酷な弓を射る 上

少年は残酷な弓を射る 上

少年は残酷な弓を射る 下

少年は残酷な弓を射る 下


誰も自分を理解してくれなくてもいい、この人だけがわかってくれれば。(ずっとわかってくれていたし、解りあえてきたのだ、今までは)
そう思う唯一の人が、自分をまったく理解してくれない。
自分にはこんなにまっすぐに、くっきりと見えているものが、相手にはどうしても違った風に見えているらしいし、
自分の見ているものを自分と同じ方向から見ようともしてくれない。
それはどうでもいいことなんかじゃない、ものすごく大切なことなのだ。
…言いようのない怖ろしさに、息がつまりそうになる。
壁に囲まれた真っ暗な中に手足をもがれて閉じ込められたような怖ろしさをずっと味わっていた。


それでも冷静になろう、と思ったのだ。
これは、エヴァの視点で書かれているのだ。客観的な文章とはいえないんじゃないか。
ただ、感じるのは…なんてひどい家庭なのだろう。
母親は息子を愛せない。
父親は現実の息子を見ようとしない(彼が見て、愛しているのは、理想像、虚構)
この極端すぎる夫婦は…片方が片方の反動みたいなものに思えた。
こんな両親のもとで、敏感な子どもは何を感じて何を吸収して育つのだろうか。
本当のケヴィンは、エヴァの目に映った姿ともフランクリンの目に映った姿ともちがうのではないか。
エヴァも、フランクリンも、極端に個性的で、そのぶん、はっきりと考えていることがわかる。
それに引き変えてどうしてもわからないのは、ずっとわからなかったのはケヴィンだった。
あれだけ、いろいろなことがあったにもかかわらず、ケヴィンは何を考えているのかわからなかった。
だから不気味だった。


ケヴィンもわからなかったのだろう。
ケヴィンは、エヴァの言うとおり、すごく頭のよい子だった。
その彼が生まれおちた瞬間に感じたのは、言葉にしたらやっぱり「…よくわからない」だったのではないか。
ずっとずっとわからなかったのかもしれない。わからないことは、怖ろしいことだっただろう。
どんなに怖ろしかっただろう。


エヴァもまた、わからなかったのだ。
わからないから、ずっとずっと綴ってきたのだ。
わからない…それが、最後まで読んで感じた母と子の、思いがけない絆だった。
ことがことなので、簡単に再生なんてありえないのだけれど(望むことまで間違っているように感じてしまうのだけれど)
そして、どんなにしても起こってしまったことは変えることはできないけれど
そのことに向かいあうにあったって、「わからない」から、もう一度やり直す、最初から生き直すことができたら…
出来ごとは変わらなくても、きっと何かが変わる。変わってほしい。


それにしても…この重さ。こんな重荷を背負わなければならないほど酷いことをしただろうか、この母は。
けれども、逃げることもせず、そこに踏みとどまり、
ただ背負うべきものを背負って一歩一歩、歩むこの母の決意の強さは、一体どこから生まれるのか。


子を産む前に、彼女が夢みていたものは、まるでおままごと。でも、それは特別なことではない。
わたしだって、おままごとを夢みていたんだもの。(蓋を開ければ「こんなはずじゃなかった」の連続だけど)
だれもこんな未来は想像しないだろう。想像していたら、母になんかなれないだろう。
この物語の怖ろしさは、そういうことでもある。エヴァは、私の中にもいたわけだから。


終盤のエヴァの母のことも印象に残る。
娘にさえも茶化されるほどの、引きこもりの変人のはずの彼女だけが、
変わることのない態度でエヴァの傍らに居続けたこと。このゆるぎなさ。
母親は、いつ、どうやって母親になるのだろう、とそんなことも思った。