レインレイン・ボウ

レインレイン・ボウ (集英社文庫)

レインレイン・ボウ (集英社文庫)


同じ高校のソフトボール部で、いっしょに活動していたのは九人。
この少女たちが、七年後に出会う。
そして、そこからそれぞれの物語が始まる。
物語は虹にちなんで七つ。七つの色のイメージを、七つの物語の主役の七人の女性に重ねます。


ソフトボール部の少女は九人。だけど、ここで語られる物語は七つ?
ではあと二人は?
一人は亡くなった。そもそもの始まりは、この亡くなったチームメイトの通夜なのだ。
もう一人は通夜に現れなかった・・・


七つの物語のなかには、各主役のまわりに、他の女性たちが見え隠れしながら、繋がっていきます。
とりわけ、亡くなった彼女と通夜に現れなかった彼女の影がずっと大きな疑問符とともに、誰の物語にも大きくからみ合っているのです。
七人の女性たちの七つの物語は、実は九人の女性たちの九つの物語でもありました。


彼女たちの物語は、それぞれに何かを探す物語だった。
どこにでもいそうな(どこか自分に似ているような)女性たちの、ありふれた日常かもしれないけれど、
日常のなかには、ちょっとしたミステリが潜んでいる。
それがするっと解決したときには「あっ」と小さな声で言って、ちょっとだけ気持ちが上を向くのを感じます。
虹を見たような気持ちで。
というと、ほんわか優しい物語に見えるけれど、ただ優しいわけではない。

>だけど、大人はずるい。大人は意地悪だ。大人は嘘をつく。大人は騙す。大人はたくさんの悪意と、優越感とを抱えて生きている。
社会人三年め、四年目・・・大人の入り口にいる彼女たちは、世間の厳しい風にあおられながら、時に、そんな言葉とともに立ちすくむ。
ミステリが忍び込むのは、戸惑いや怯みの狭間だ。


大人は意地悪かもしれない、嘘をつくかもしれない、
だけど、それだけじゃない。一つのことに囚われていると、他のことが見えなくなる。
それでも、プー太郎だって、火の玉娘だって、依存しまくりの子だって、自分に正直に生きている。
せいいっぱい生きている。
そうして、きっとみんな、それぞれの道で、しなやかに大人になっていく。
その彼女たちを見守る作者の目が優しい。


雨が降ったあと、必ず虹が出るわけじゃない。
思いがけず出会う虹だから、見られたときは嬉しい。
レインレイン・ボウ、歌みたいで楽しい響き。


若く亡くなった一人が、短い人生を謳歌して満足して旅立っていっただろうことを信じています。
(でも、若い人の死は、やっぱり悲しすぎる)