ペッパー・ルーと死の天使

ペッパー・ルーと死の天使

ペッパー・ルーと死の天使


信仰心とは程遠い世界に暮らすわたしではあるけれど、
生まれたての子どもに「この子は14歳になるまでに死ぬ」なんて予言する聖人がいるわけないだろう、と怒る。
そのうえ、それをまるごと信じて、幼い時からわが子に死の準備をさせながら育てる親なんて、もっといるわけないだろう、と怒る。
いるとしたらアホだ、ものすごく罪深いアホだ、と怒る。
・・・ペッパー・ルーはそうやって育てられたのだ。14歳まで。そして、14歳の誕生日を、悲嘆にくれる身うちの涙と共に迎える。
そして、自分の運命から逃げ出す。


馬鹿馬鹿しいくらいに悲惨な14年間の反動で、まぶしいくらいの大冒険が始まる。
ぱちぱちぱち。拍手と歓声で迎えたい、ペッパー・ルーの旅立ち。
船をのっとり、新聞記者になり、外人部隊に入り・・・どれも、ちょっとくらいなら齧ってみたいような体験ではないの。
わくわくしないではいられない。
そして、そのたびごとに巻き込まれるとんでもない事件に、はらはらどきどき。
その対処の仕方(いや、そもそも引き起こした原因)ときたら、
育ちのよい、真っ正直な箱入り坊主のやることで・・・およそ普通ではない。
普通ではない思い切りの良さと誠実さと健気さとがなんとも愉快で、周りの人びとを巻き込んで膨れ上がっていくのが楽しい。
少しだけ古めの(由緒正しき?)冒険と、くるくる変わる状況と、現代的なスピード感が、ほどよくミックスして、飽きさせない、はすです。
(でも、わたしはちょいと、くたびれたな、ジェットコースターはもう少し短くてもいいかな^^と。)


案外、人は自分が見たいようにものを見てしまう、ということ。
または、だれかに「このように見てほしい」と望まれるままの見方をしてしまうことも、ままあること。
ものの見方についても、自己責任だよね、と、痛快な冒険の陰で、少々苦く噛みしめます。